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【2024年6月15日】ポップ・ミュージック植民地主義とデヴィッド・ボウイ「ロジャー(間借人)」のジャケットに思う

先日、人気のロック・バンドMrs. GREEN APPLE の新曲「コロンブス」のMVが、植民地主義を肯定しているとの批判を受けて炎上、非公開になったという記事が幾つも上がっていました。(私が記事を知った時は既に当該のMVは削除済みで観ていません)

 

 

それらの記事を読んでいてふと思い出したのは、’80年代の初めぐらいからロック/ポップス界隈にはびこった、ポップ・ミュージックの植民地主義と、それに対する一つの回答とも言える、デヴィッド・ボウイのアルバム「ロジャー(間借人)」のジャケット・コンセプトです。括弧の漢字タイトル「間借人」は、多分日本向けのボウイ指定タイトルです。(ジャケットにも記載されています)

 

 

 

 

ポップ・ミュージックの植民地主義 ーー これはどういう事かと言うと、白人ミュージシャンが、世界あちこちの、いわゆる伝統的なワールド・ミュージックを自家薬籠中のモノとして堂々と鳴らした、という行為です。

言い換えると、つまりこれって、インテリ西洋人たちが、非西洋圏の、西洋にはないパワーを持った音楽を搾取して鳴らしているだけなんじゃないか?西洋のポピュラー音楽=先進的、ワールド・ミュージック=野蛮で土着的、という思い上がった図式で鳴らしたんじゃないか?という疑問です。

 

 

当時はミュージシャン側からも評論家やリスナー側からも結構批判も多く、日本の音楽雑誌でも、「ロッキング・オン」「ミュージック・マガジン」等で、いろんな議論が上がっていました。もちろん批判だけでなく、肯定する意見も多く見受けられました。

この話題に上がっていたアーティストを具体的にあげると、ポール・サイモンやトーキング・ヘッズ (デヴィッド・バーン)、ブライアン・イーノ、ピーター・ガブリエルやポリス…等、です。たしかに皆んなインテリ・ミュージシャンばかりです。

 

 

 

 

デヴィッド・ボウイの’79年のアルバム「ロジャー(間借人)」は、そんなポピュラー音楽界のワールド・ミュージック・ブームの先陣を切るような作品です。

個人的には、数あるボウイ・アルバムの中でも、特に思い入れのある数枚のうちの一枚です。

 

 

このアルバムは、いわゆる「ベルリン3部作」の3作目で、1作目「ロウ」2作目「”ヒーローズ”」程はっきりとしたAB面区切り (LPレコードで聴いた場合です) はありませんが、やっぱりA面とB面のテーマ及び曲想は大きく異なっています。

 

 

A面は、西欧化する世界への憂いと自身のソング・ライティング自体に言及しているような「素晴らしい航海」で始まり、2曲目「アフリカン・ナイト・フライト」から5曲目「レッド・セイル」まで、世界各地の音楽にインスピレーションを得た楽曲が続きます。

B面 (6曲目から) は、歌詞はヨーロッパ批判的・自己批判的で、サウンドは自身の’70年代を総括するような次作「スケアリー・モンスターズ」に繋がる楽曲群です。

まあ今回はジャケットについての文章なので、楽曲については別の機会に書いてみたいです。(長くなりそうなので)

 

 

印象的な見開きジャケットを眺めながらLPレコードを聴いていた若い頃。「ロウ」「”ヒーローズ”」の美麗ジャケをせせら笑うかのような、ボウイ自身が殴られて鼻がひん曲がって倒れている表ジャケや、内ジャケの死体置き場 (私の記憶だとたしかチェ・ゲバラも写っている) の写真等から、このジャケットは、このアルバムは、’70年代に革命的なアルバムを作り続けた自分自身を葬り去るという意味を込めているに違いない!そう思い込んで悦に入って聴いていました。

 

 

 

 

ところが多分今世紀になってからだと思いますが、何かの記事もしくはどなたかのブログで、このジャケットについて書かれてある文章を読んで驚きました。ざっくりいうと、こういう内容です。

このアルバムでボウイは世界各地を旅して・現地の音楽を搾取して得意げに鳴らしていたら、何処かで自分たちの文化搾取に怒った現地人にボコボコに殴られて、ああいう姿になった、そんなストーリーというかコンセプト、だという事です。面白いですね。

 

 

たしかに、そう考えると「ロジャー(間借人)」というアルバム・タイトルが実にしっくりきます。A面・B面の曲の並びも、ストンと腑に落ちました。アルバム・タイトルといいそんなストーリーといい、インテリ西洋人がワールド・ミュージックを演る、に相応しいコンセプトだなあと。目から鱗が一枚剥がれました。

観てないので何ともですが、もしMrs. GREEN APPLE「コロンブス」のMVにもこういう自虐ユーモア的な仕掛けがあったら炎上してなかったのでは、なんて思ったり…。

 

 

 

 

ツラツラと書いてきましたが、このアルバムのジャケット・コンセプトについては諸説あり、真実は謎のままです。もしかしたら、込められた情報など何もないのかもしれません。あるいは、いろんな深読みが出来るよう入念に作られたのかもしれません。

私のような熱心なファンは、ジャケットを眺めて聴きながらいろいろ考えを巡らせて楽しむだけです。

 

 

 

 

実家に帰った際には、LPレコードの画像の詳細を撮って上げたいと思います、これはネット画像から。

 

 

 

【2024年6月12日】「南の島」バージョン・アップしました 〜 ザ・ビーチ・ボーイズ風に

新曲「南の島」、今までなら曲の骨格が出来たら即PC作業に移行していましたが、今回もアコギのまま曲をブラッシュアップしています。

PCでの作り込み作業とどう違うかと言うと、PCではこのあとリズムや音色といったところに重心が移動するのに対して、そのままアコギで作り込んでいくと、そちらではなく、コード進行やメロディを更に磨いていく、というふうに、今のところ進んでいます。(あくまで私の場合です)

 

 

それで、生まれたシンプルなメロディを何度も何度も弾いていたら、次第に曲想が広がっていきました。途中から、ザ・ビーチ・ボーイズの一曲「キャビン・エッセンス」(「スマイル・セッションズ」や、ブライアン・ウィルソンのソロ名義「スマイル」に収録)っぽく発展していったので、その感じを活かして、間奏を思いっきりビーチ・ボーイズ風のコード進行にしてみました。

 

 

その間奏コードは、別の曲「フレンズ」(‘68年リリースの同名アルバム収録) の進行を参考に鳴らしてみました。歌メロと上手く繋がって、曲世界が大きく開けた気がします。

難点は、目まぐるしく変わるコードに指が追いつかず、ちゃんと演奏出来ないところで (笑)、これは練習するしかありません。

 

 

 

ところで、ビーチ・ボーイズ。自分の中では、10年単位で思い出したように波が来て聴き込む、そんなアーティストです。小さな音でしか音楽を聴いていない今日この頃、久しぶりに聴いてみたら、またすっかりハマって毎日聴いています。

 

 

ビートルズなんかもそうですが、ビーチ・ボーイズは小さな音やAMラジオ等音質が劣るリスニング環境で聴いても、その音楽はいい音で聴く時と殆ど変わらず楽しめます。この辺が ’60年代の音源の凄いところです。自曲をAMラジオで聴いたらどう聴こえるんでしょうか…。考えただけでおそろしいです。

 

 

 

 

かなり変わっています。