仮歌を入れてから、聴きながらアレンジを煮詰めていきました。最近はいつもそんな感じです。アレンジをアップデートして、それを聴き返してまた歌詞を上書きしたり。
それで一応トラックが完成したのですが、これがかなり派手な音になりました。多分、今まで私が作った中で、一番派手な曲になったのではないかと。
これは半分は意図してこうなりました。少し前に上げた稿にもありますが、この曲は今どきのJ-POPを意識して作っているので。
ところで、もう数年前からですが「今どきのJ-POPは、ガラパゴス化している」と言われています。これはどういう事かと、ちょっと説明します。
‘60年代、もしかしたら、’50年代。いや、もしかしたら’40年代…。ジャズやエルヴィス・プレスリーやビートルズ以降に影響を受けた日本のポップスは、日本の土着メロディ&リズムに、いかにして洋楽メロディ&リズムを馴染ませるか、そんな歴史です。そこには、洋楽ポップス=先生・邦楽ポップス=生徒、的な図式があります。その際たるアーティストは山下達郎さんやユーミンではないかと、私は感じます。
このブログで何度も何度も書いているゴダイゴや原田真二さんは、洋楽の咀嚼具合が無茶苦茶上手かった、そんな始祖的なアーティストでした。
私見では、そんな流れの最期が、くるり、ドラゴンアッシュ、宇多田ヒカルさん…等がブレイクしたゼロ年前後ではないかと。くるりやドラゴンアッシュ等はオルタナやミクスチャーの、宇多田ヒカルやUA等はR&Bの、それぞれ後追い表現。
以降、日本の大衆音楽 (つまり、ヒットチャートに上がる音楽です) は、洋楽と似て非なる音楽に替わっていきます。「世界」の大衆音楽の流れとは、全く別の潮流に乗っていきます。
何を言いたかったかといえば、ゴダイゴ・原田真二・ユーミンは、スピッツ・ミスチル・オザケン・宇多田ヒカル…、につながりますが、宇多田ヒカル・くるり…は、YOASOBI・まふまふ…、には全くつながって聴こえない、ということです。
私は、’10年代ぐらいからメインストリームの大衆音楽は聴かなくなり、そんなことも幾分関係して、この頃から自曲を作り始めた訳です。
そんなこんなで、数年前ぐらいから。
音楽のみならず、生活のいろんな場面において、否定するという行為は実にもったいない行為なのではと思うようになりました。だって、寿命もとっくに折り返しているんだぜ (笑)。否定よりも、ちょっとでも分かるところが増えた方が、残りの人生、ちょっとでも豊かに過ごせるんじゃないかなと。
音楽も、拒否や否定して聴かないよりも先ずは心を開いて聴いてみて、その良さが分かったら、それはそれで儲けものなんじゃないか。そう思って、J-POPを再び聴き始めたのが同じく数年前からです。
聴いてみたら、J-POPのメインストリームにも、セカオワやサカナクション、ゲス極、米津玄師にEve…。いいアーティストがたくさんいました。
表現の質ではなく、見せ方の違いで戸惑ったのはないかと思います。
映像表現に例えると、今どきのJ-POPは、アニメです。アニメは、画像や音像が鮮明で、情報量が詰め込まれていて、スピーディーで人間離れした動きをします。セリフも基本早口です。対する、ゴダイゴ〜スピッツやミスチル等は、よく出来た実写映画です。
そう言えばうちの親は全くもってアニメを否定していましたが、私も数年前まではそうなりつつあった訳です。
さっきYouTubeでEveのMVを観ていたら、コメント欄に「私は、61のじじいですが、素晴らしい世界観だなと、思いました。又、聞きたいと思います。」というのが上がっていました。
私も今年58のジジイですが (笑)、せっかく影響を受けたので、ちゃんと咀嚼してアウトプットしたい、そう思ってこの「宇宙を見つめていた頃」を作っています。
もちろん、私が作るので今どきのJ-POPには、絶対になりません。絶対に、ダサい感じになります (笑)。そこが、いいのではないかなと。
Eve「お気に召すまま」(‘17年) のPVより。さっきのはこの曲へのコメントです。