【2018年3月17日】前回の続き 〜 くるりは昔のUKプログレ・バンドのよう

ところでこのくるりというバンド、岸田・佐藤の両オリジナル・メンバー以外、実にコロコロと変わっています。
メジャーな日本のバンドの場合、メンバー固定か解散してしまうかのどちらかが多いので、このように、メンバーが度々変わりながらも存続が続いていくのは、稀なケースなのではないかと思います。

 

 

私は岸田さんの楽曲のファンなので、メンバーは誰がどうなっても構わないというか、それはそれで楽しめます。むしろソロ活動しないかなあと思っている位です。(他のメンバーの方々、ごめんなさい。。)
でも、岸田さんは、バンドを続けています。やはり何と言ってもバンドのグルーヴが好きなのでしょう。そして、個々のメンバー同士の化学反応による、くるりの音楽の成長を信じていらっしゃるのだと思います。

 

 

メンバーが辞めていく理由は、熱心なリスナーからみるとハッキリ分かります。辞めた方々は、つまり、アルバムごとにコロコロ変わる音楽性に (テクではなく、感性や気持ちが) ついていけなかったのだと感じます。(それがダメだという意味ではありません)
もしかしたら、トランペットのファンファンさんも、次のフェーズに入ったら音楽性のすれ違いで辞めてしまうかもしれません。そんな気がします。(ずっといたりして…)
くるりはある意味岸田さんのワンマン・バンドなのですが、自分のコントロール下にメンバーを置くのではなく、あくまでも対等に、理想とする音楽を他者の力と共に求めていく、そんなイメージです。メジャーな日本のバンドだと珍しいかもしれません。

 

 

 

イギリスのプログレッシヴ・ロックのバンドにキング・クリムゾンというバンドがいます。このバンドも、リーダーのロバート・フリップさんのワンマン・バンドでメンバーの入れ替わりが激しいのですが、超個性的なメンバーたちの音楽性と常に対峙しながら、革新的なアルバムをリリースし続けていました。(’90年以降のは聴いていません。’80年代「ディシプリン・クリムゾン」まででの考察です)
まず確固たる鳴らす音ありきという、音楽の求道者っぽいところが、何となく似ている気がします。どうでもいいことですが、岸田さんとフリップさん、実は顔つきや佇まいもよく似ています。

 

 

今の時代、ロックがあまり聴かれなくなってきているのは、単純にロック・バンドが減ってきているという理由もあると思います。
昔と違い、音楽を演ろう、曲を作ろう、と思ったら、わざわざバンドを組まなくてもPCなどで一人で好きな音楽を作ることが出来ます。煩わしい人間関係や、音楽性のすれ違いから生じる軋轢などとは無縁に、自分の好きなように音源制作に勤しむことが出来ます。私もそうです。

 

 

そんな中でも、一人で何でも出来る才能があるにもかかわらず「バンド」に拘り続け、音楽性が変わる度にメンバーが変わっても尚続けている、くるりの岸田・佐藤両氏には、一人で演るポップスやエレクトロニカでは表現出来ないスケールのバンド・マジックを聴かせ続けて欲しいと願います。

 

 

 

 
クリストファー・マグワイアさんのドラミングがカッコいい、バンド・グルーヴで聴かせる「アンテナ」(’04年) と、岸田&佐藤二人のプロジェクトっぽい、ウイーン録音、オーケストラとの共演の「ワルツを踊れ」(’07年)。同じバンドとは思えないノリですが、通奏低音は同じです。
メンバー表を眺めながら音を聴いて、昔のプログレ・バンドを聴くように個々のメンバーの音楽性を推測して楽しんだり出来るのも、日本のバンドだと、このくるりだけです。