【2019年9月1日】「『何もしないこと』で生まれる独創力」から 〜 「サウンド・アンド・ヴィジョン」の贈りものを待ちます

 

 

この記事は8月24日のyahoo!ニュースから。

我が意を得たりという記事で、興味深く読みました。

 

 

 

ほんとに大切なことは、よく何処か遠くからやってくると錯覚しますが (私だと、曲が生まれりすること)、それは、脳がリラックスしている時に、脳がまばたきする瞬間に生まれる、要約するとそんな話。

 

 

なんとなくの体感なのですが、自分の意識というのは、脳の働きのうちのほんの数十分の一 (もしかしたら、数百分、数千分の一!) の、いわば氷山の一角であって、日常生活の重要な判断は、殆どが無意識のうちに決定して行われているのではないか。

 

 

そんなことを考えていると、曲作りを、いろいろな方 (私も) がよく「降ってくる」という言い方をしますが、「降ってくる」よりも、「(意識下から) 表面化してくる」と言った方が、適切なのではという気がします。

 

 

 

ところで、音楽を聴く、絵画を鑑賞する…いわゆるアートに接する時、人は「意識して」いません。意識せずに、良し悪し・快不快を判断している訳です。脳の働きの殆どを占める「無意識」に直撃するからこそ、楽しいのでしょう。

それからスポーツが好きな人は、スポーツ観戦をしてる時・プレイしている時の熱狂は、これも無意識を直撃しているんだと思います。

この無意識の快感こそが、ストレスと違って「プラスの刺激」ではないかと。

 

 

「何もしない」は、そんなプラスの刺激からも離れた、いわばニュートラルの状態。

刺激により活性化されたり、ニュートラルにしてリラックスしたり。そんな繰り返しが脳のアップデートに繋がっているのではと、容易に想像出来ます。

私もですが、想像や創作が好きな人は、部屋でボーッとしているのが全く苦にならない人なのでは。

 

 

 

そんな事をつらつらと考えていて、ふと「サウンド・アンド・ヴィジョン」(デヴィッド・ボウイの’77年アルバム「ロウ」収録」) が聴きたくなりました。

 

 

この曲は、ボウイさんがイギー・ポップと一緒にベルリンの安アパートに引きこもっていた頃の曲。

ブラインドを降ろしたブルーの部屋で、音と映像の贈りものを待つよ、もっともっと孤独になりながら。。という歌詞の引きこもりソングです。

この時期のボウイさんは、何もせずにぼーっと過ごしていたから、「ロウ」という素敵な贈りもの (サウンド) が降ってきたんだろうなあ。そう思いました。

 

 

 

 

ライヴでマイムを混ぜながら「サウンド・アンド・ヴィジョン」を楽しそうに歌うボウイさん。

YouTubeからの画像です。バックの面々から、00年前後ではないかと。

 

 

この曲のサウンドは、ミニマムなファンクで楽しい雰囲気。そんな曲調と、引きこもることを歌った歌詞を歌うボーッとしたボーカルが妙にマッチして、孤独とは、慣れ親しむと実に豊かで楽しい時間にもなりうると、そんなことを感じます。

 

 

実はボウイさんが亡くなった数年後、「スターマン」とこの曲「サウンド・アンド・ヴィジョン」をカバーしたことがあります。

「スターマン」は、ライヴでも歌ったことがありますが、「サウンド・アンド・ヴィジョン」は、ライヴどころか、一人にしか聴いて頂いていません。日本語に意訳して、アレンジも大きく変えて歌っていて、それも一緒に思い出しました。録り直そうかなあと今思ったんですが。。