【2020年5月18日】マスクに思う

最近、スーパーやコンビニに行くのに、マスク無しでは行けなくなりました。

当初は多分に、人から新型コロナウイルスを移されたくない・人に移したくない、という単純な思いで付けていたのですが、最近は、付けてないと変な人に見られる、という理由に変わってきてる気がしています。

 

 

そんな話を何人かにしたところ、やっぱり皆んな少なからずそう感じているようです。服を着るようにマスクを付けている訳です。誰かに強制されている訳ではありませんが、強制されている感がする。強いて言えば、自分に強制されている、と。

 

 

 

20世紀を代表する哲学者の一人、ミッシェル・フーコーさんの思想に「監視社会」という概念があります。(説明すると長くなるので端折ります)

「監視」によって、「異端者」「犯罪者」は排除され、そのコミュニティの人々は安全に・便利に暮らす事が出来ていますが、比例して、息苦しさ・生きづらさも感じるのです。

 

 

思うのは、現在のIT社会は、正しく「監視社会」そのものではないかと。自分が自分を監視して、行動を自己規制している、そんな社会になっているなあと。

 

 

 

世の中こんなに便利に、快適になってきてるのに、どうして息苦しさが増しているように感じるんだろうと、漠然とですが長らく思っていましたが、コロナ禍のお陰で、何となくその答えが分かってきた気がします。そうかー、監視社会ってこういう事か。

 

 

 

 

 

強制感を減らす為に、マスクもファッションにして、ポップに楽しむのもアリかと思います。