作っていくうちに、ようやく自分の曲らしくなっていき、何とか完成にこぎ着けました。
この「らしさ」というのがとても重要です。パクりとリスペクトの違いは、この「らしさ」で決まるのではないかと、作っていて思いました。
他人の楽曲のフレーズと同じフレーズが鳴らされていても、その作った曲の文脈的にしっくりくるのがリスペクト、浮いているのが、あるいは最初から違和感があるのが、パクりなのではないかと。
かつて奥田民生さんがPUFFYの楽曲で、ビートルズやELOのフレーズやアレンジをそのまま使っていましたが、誰も「パクり」だとは感じなかったのではないかと。洋楽のフレーズをそのまま借りても、PUFFYの楽曲はちゃんと「奥田民生節」を奏でていたからです。
スタイル・カウンシルの曲も、’70年代のソウル・ミュージックの、いわば焼き直しのような音楽です。
当時、スタカンを聴いて、その影響元のソウル・ミュージックを聴いたのですが、でもやっぱり似て非なる音楽だと感じました。スタイル・カウンシルにはちゃんとポール・ウェラーさん「らしさ」が出ています。
音楽は伝承の歴史なので、何らかの形で似るのは当たり前の事です。+αで、自分の色が入ってたら、それでいいんじゃないかなと。あとはやっぱり、原曲への愛かな。
似てしまった言い訳ではありませんが、影響を受けた音楽は、ちゃんと消化してアウトプットしたいものです。消化不良=パクり、です。悪気はなくとも。影響を受けるからには、ちゃんと咀嚼せねば。。
スタイル・カウンシル「ロング・ホット・サマー」のPVより。