【2020年11月18日】ナイン・インチ・ネイルズと米津玄師とゲイリー・ニューマン 〜 剥き出しの感性の美しさと危うさ

 

 

 

g君からナイン・インチ・ネイルズ「ダウンワード・スパイラル」(‘94年)「ザ・フラジャイル」(‘99年) を借りていますが、中々その世界に入れないでいました。

その音世界に入るには、先ずあのインダストリアル・ノイズに馴染まなければならず、今の私には、それがどうもしっくりこないからです。(このノイジーな音が、NINのセールス・ポイントだったりしますが。。)

こういう音を聴くには、歳をとり過ぎたのかもしれません。

 

 

このバンド、当時は近寄り難く避けていたのですが、たまたま聴いた割と最近のアルバム「ヘジテイション・マークス」(‘13年) がとても良く、それから時々聴いています。このアルバムはエレクトロな音像で、以前のノイジーなサウンドとは全く違います。

 

 

 

それで先日たまたま、タイトル曲「ザ・フラジャイル」のピアノ・ヴァージョンのYouTubeを紹介されて観たのですが、これが、怖くて美しい、まさに私が聴きたかったNIN節です。

気になって調べたら、このヴァージョンは「スティル」というボーナス・アルバムのトラックでした。YouTubeに他の楽曲も上がっていますが、どれもノイズ武装?してないので、スッと入ってきます。

 

 

NINのメロディはとても繊細で美しいのですが、一般的に受ける、いわゆる「美メロ」ではありません。それは、人に聴いてもらうためにというより、自分のために奏でている自閉的なメロディに聴こえます。だけども一旦その世界に入れば、それはとても甘美な調べに聴こえます。中毒性が高いです。

 

 

 

全っ然似てないのですが、NINを聴いてて、米津玄師さんの音楽を思いました。

何度か書いていますが、ヨネケンのメロディは、初音ミクに歌わせていた頃から一貫して、底無しの闇夜の怖さを感じるそれです。

それをストレートに聴かせるのではなく、初期は、音がとっ散らかったようなボカロならではのアレンジ及び性急なビートと初音ミクに守られて。最近は練り上げられたアレンジ及びサウンドに守られて、我々の耳に届けられているように聴こえます。

 

 

だから、子どもがヨネケン・メロディを無防備に歌う「パプリカ」は、メロディと歌唱にギャップがある分、ストレートにメロディの怖さが出ているように聴こえるのかも。まあ「パプリカ」聴いて怖いと感じる人、殆ど居ないと思いますが (笑)。

 

 

そんな音楽 (褒め言葉です)、よくこれだけの人に届くなあと思うのですが、おそらくNINが’90年代に全世界で大ブレイクした時も、そう感じていた人は多かったんじゃないかな。(私もそう)

 

 

 

思えば私の少年時代に中毒のように聴いていたゲイリー・ニューマンも、当時イギリスでは、今のヨネケンのように売れまくっていました。そして分からない人は、どの曲聴いても同じに聴こえると言っていました。

評論家 (大人) は、当時最先端のシンセサイザーのサウンドにばかり言及していましたが、ドップリ浸かっていたファンの私は、何に耳が奪われていたかと言えば、サウンドもですが、やはり曲、メロディでした。(そして実は歌詞も凄い。自閉を歌っています)

3人とも、自閉的メロディが普遍性を獲得している、そんな才能ではないかと感じます。

 

 

 

 

いつの時代でも、少年少女たちに突き刺さる音楽というのは、大人には真に理解出来ないということでしょうか。

もし、はありませんが、「ダウンワード・スパイラル」「ザ・フラジャイル」を、米津玄師を、私がティーネイジャーの頃に聴いていたら、間違いなくハマっていたのではないかと感じます。感性の衰えを歳のせいにはしたくないんですが (笑)。