【2019年7月17日】前回の続き 〜 誰もが好きになる歌なんて存在しない

前回、自曲「君を待ってる」に絡めてコミュニケーションについて思うところを書きましたが、肝心なところが抜けていました。それは、「相手を好きになる」事です。この「好き」は、セクシャルな意味合いではありません。ごく単純な好意の事です。無理なら、努力だけでも。

 

 

会社、学校、サークル…。いろんな社会にはいろんな人々がいて、そんないろんな人々と交わる際に、疑うよりも好きになった方が、楽しいし、物事は上手く進みます。私は数年前に、それを発見?しました。それまでは、「好きになる」よりも「嫌われたくない」方が大きかったのですが。

 

 

今でもそれは残っていて、何かの拍子に反射的に「嫌われないような」行動をとってしまいます。ラインを見たらすぐに返事を返さねば、とか。(←どうでもいいんですが、こんな事…)

そう言えば、今、子どもたちの間で「ラインイジメ」というのがあるらしいですね。職場の主婦パートさんが嘆いていました。今も昔も、子どもは仲間に嫌われるのを極度に恐れている気がします。

「嫌われたくない」は、自我の不安定な、典型的な子どもの心理なのかなあと。

 

 

 

それで、タイトルの件。

世の中にはたくさんの歌が歌われていますが、万人に受ける歌など、一曲もありません。これは、人間関係の、誰からも好かれる・誰にも嫌われない、が絶対に無理だという事と全く同じです。人と人、人と歌、は、同じく相対的な関係だからです。

 

 

私の作り始めの歌は、「身近な人が聴いても普通に聴ける」をテーマにしていました。それはある意味「誰にも嫌われたくない」歌たちだったような気がします。最近の作風は少し変わってきて、それは、人が聴いてどうとかよりも、自分の好みというかクセというか、そんな風に振れてきています。

私はこんな変な歌を歌ってるけど、合わなかったら別に聴かなくていいよ、的な。

 

 

欲を言うと、変な歌なりにポップで開けている、そんな歌を作りたいと思っているんですが。これが、中々。。

 

 

 

 

ポピュラー音楽史上、人々に最も愛されているバンド、ザ・ビートルズも、デビューの頃は嫌われ度もNO.1クラスでした。この事実でも「誰もが満足する歌」の難易度の高さが伺えます。