いつ頃からかは知らないけど、PCだと、海外のニュースはボタン一つで外国語が日本語に翻訳されて、他国の記事でも日本語で普通に読めるようになっています。全部の記事がそうとは分かりかねますが、私の読む記事は、そうなっています。これは勿論AIが翻訳しています。
それを知ってからしばらくは興味本位で海外のいろんなニュースを読んでいましたが、その文章のあまりの読みづらさから、最近はご無沙汰しています。
昔から、いわゆる「翻訳文」という言われ方をする文章がありました。半ば軽蔑的な意味合いです。現代の、AIの翻訳文は、まさに絵に描いたような翻訳文です。それは「意味」のみを変換しようとする目的のみで訳された文章です。
AIによる翻訳文を読むといつも反面教師として、文章 (言葉) というのは意味を伝えるだけのメディウムじゃあないんだなあと、つくづく感じます。
逆に、意味が分からなくても「分かってしまう」言葉も存在します。言うまでもなく、それは「歌」です。(だから歌は偉いのだ、というつもりではありません)
けれどAIの翻訳文には、不自然な翻訳文なりの面白さがあるのではないかと、最近思ったりします。ポップスでも、初音ミク等のボーカロイドは、まさにAIが翻訳した歌のようです。ボカロは、リアルで大声で歌いたいけど歌えない人の翻訳装置ではないかと。私はイマイチその面白さが分からなかったのですが、それこそ身に染みてというレベルで分かる方々が、熱狂して聴いている訳です。
今は翻訳AIの過渡期ではないかと。もう少ししたら、見事なまでにヒトが書いたような文章で翻訳されるのでは、そんな気もします。そうなったら逆に面白くないような気もします (笑)。初音ミクも、あの不自然な発声だからこそリアルに感じるのと同様に。