【2020年6月24日】「ブラック・ライブズ・マター」至極個人的に思う事 〜「差異」を肯定する困難さ

今に始まった事ではない人種差別について、ごく個人的に思う事です。

 

 

 

私は幼少の頃から肌の色が人並み外れて色白でした。どのくらい色白かと言えば、クラスの男子はもちろん、女子と比べても、自分よりも色白の子がいない、そんなレベルでした。

子どもの頃は、そんな色白の肌が嫌で仕方がなくて、夏になったらいつも外で遊んで焼いていました。(でも色白なので、なかなか焼けずに赤くなる 笑)

子どもというのは、ちょっとした事でクヨクヨ悩むものです。

 

 

多分、私がこんな事で悩んでいたなど、親や友人たちは、誰も知らなかったと思います。

私に限らずおそらく、背の低い子は身長で悩んだり、眼の悪い子はメガネで悩んだり…。

他人からみれば実にどうでもいい事なのですが。。

 

 

成長していくにつれ、気がついたらそんな悩みはいつの間にかすっかり消えていましたが、それでも時々、例えば最近の「ブラック・ライブズ・マター」などで、肌の色に関しての事件や問題が上がった時など、いつも思い出します。

 

 

 

差別とは「差異」を否定する行為です。私が自分の肌の色で悩んでいたのは「他人と違う肌の色」を、肯定出来なかったからです。

時々、整形を繰り返している方が話題になったりしますが、気持ちだけはとてもよく分かります。私が自分の肌の色を、成長しても肯定出来なかったら、そんな方々と同じような道を辿っていたかもしれません。

 

 

同胞の肌の色に関しては差別意識のない日本人たちの中でも、こんな些細な事でクヨクヨと悩んでいる子どもがいるくらいです。私にとって人種差別の問題の大きさは、まさに推して知るべし、です。日本人の想像を絶している根深さを感じます。当事者にしか分からない問題ではないかと。

 

 

 

因みに、大人になってかなり経ってから、世の中は「美白ブーム」になり、小麦色の肌よりも白い肌の方がもてはやされるようになりました。(←女子の世界の話です)

その頃よく、職場や知人の女性から、冗談半分ですが白い肌を羨ましがられました。まあこれも一種の差別ではないかと思うのですが。。(笑)

 

 

 

他者と自分の差異を確認する為に、歌を作っているのかもしれません。

私の楽曲はこちらから聴けます。↓