月別アーカイブ: 2017年6月

【2017年6月28日】ネットとコミュニケーション 〜 ゲイリー・ニューマンの「繋がりたくない」歌

以前の話になりますが、お酒を呑みに行った時の事。ネットについての話で盛り上がりました。

 

 

その話の中で知人の女性が、「うちの子はご飯食べてる時も、友だちとスマホ離さずラインしてて、困ったもんだわー」と嘆いていました。「そんなにいつでもつながっていたいんかなぁ」と。子どもは高校生だそうです。
そう言えば、呑み屋に行っても、カウンターに座って一人でスマホいじっている方を、ここ数年は多く見かけます。
私はよく一人で呑みに出かけますが、一人で行く呑み屋のカウンターというのは、私にしてみると、お店のマスターやママさんとしゃべったり、たまたま隣に座った方としゃべったり、そんな場所ですし、家庭で食べる夕食というのは、父母兄弟と話をする場でした。時代の流れでしょうか。

 

 

よく「インターネットは世界と繋がる」と言います。
この私のHPブログも、どこの誰が読んでいるかは分かりませんが、理論上は、地球上のあらゆる方々とつながっています。
ネットは確かに、コミュニケーションのツールとして人類史に残る級の発明だと思いますが、肝心の使う側の意識が、ネット以前から全く進歩していないような気がします。
「リアル」「ヴァーチャル」という言葉がありますが、コミュニケーションに関しては、全てが「リアル」です。(ネット上でのコミュニケーションも、ツールがネットというだけであって、「ヴァーチャルなコミュニケーション」というのはコミュニケーションの性質上、本来ならありえない筈です。)

 

 

「今」「ここにいる事」をちゃんと意識出来ない人は、ネットでのコミュニケーションも、単なる自己満足でしかないような気がします。都合が悪くなったら、切ってしまえばそれまでですし。
私も他人とのコミュニケーションは決して得意な方ではありませんが、先ずは目の前の人とは、ちゃんとしゃべれるように心がけたいと思います。

 

 

 

 

“私はあなたと繋がりたくない” と歌った、今やロック好きでも知る人ぞ知る存在の、ゲイリー・ニューマン。現在も活動しています。私の高校生の時のアイドル (?) でした。
後々のロック・シーンにもフォロワーが多く (有名どころだと、マリリン・マンソンやナイン・インチ・ネイルズなど)、ゲイリー・ニューマンを聴いて救われた人が多くいらっしゃるという事なのでしょう。

 

 

この人をはじめとして、当時のUKロック・シーンは、安直なコミュニケーションを拒否した「ディス・コミュニケーション願望」の音楽が、ひとつの主流をなしていました。予定調和のメロディを奏でず、音は冷ややかなシンセサイザー主体の、自身の孤独と向き合う歌です。
そしてそれは、逆説的なコミュニケーション・ソングでした。(後から気付きましたが、歌うという事はそもそも、意識的にしろ無意識にしろ、他者希求の行為ですからね)

 

 

画像は「ダウン・イン・ザ・パーク」(’79年) を歌う、ゲイリー・ニューマン。フェイヴァリットの一曲です。

【2017年6月27日】一局の将棋

先日将棋の藤井四段が、同じく十代の棋士、増田四段に勝ち、将棋界では新記録の、公式戦初手合以来29連勝を達成しました。TVやネットや新聞でも大きく取り上げられていましたので、ご存知かと思います。
この記録は、少しでも将棋の世界に興味があり囓った方ならば、とんでもない事だとお分かりかと思います。
そして何よりも驚きなのが、将棋を全く知らない一般の人たちまでもが大騒ぎして祝福していることです。

 

藤井四段は6歳の時に既に「しょうぎのめいじんになりたいです」と作文に書いていたそうです。
子どもの頃から一芸に秀でた人は、大概がその人生を、その得意な芸の精進ために費やすことになります。
そして成長するに従い「これで良いのか」「違う生き方もあるのでは」等の葛藤も生まれてくる事もあると思います。当然ですが、将棋の世界に足を踏み入れたばかりの藤井四段には、まだそうした迷いは全くないと思います。

 

これから更に強くなり、人々に夢や希望やしあわせな時間を与え続ける存在になるのか、伸び悩んだり挫折したりで苦労するのか、あるいは天才すぎて、チェスのボビー・フィッシャーや詩人のアルチュール・ランボーみたいに、将棋を止めて放浪の旅に出てしまうことになるのか (笑)。そうなったらそうなったで楽しみですが。
ロックにハマって渡米したりして。ロッカー Fujii (笑)。それもまた一局です。
(将棋用語で、終局後の検討で、ある分岐点での指手が実際の指手とは別の手があり、その手が有利にも不利にもならずに進めることが分かった場合、「これも一局 (の将棋) だね」と使う。)

 

先のことは誰にも (本人にも) 分かりませんし、人生を限定する事も無意味です。ただし、人生も将棋のように「待った」は出来ません。

 

 

いろんな意味で激動のこの時代に、ギフテッドとして生を受けた一人の人間の成長を、私は静かに見守りたいと思います。

 

(「ボビー・フィッシャー」「アルチュール・ランボー」、興味を持たれた方は、ぜひ検索してみて下さい!)

 


久しぶりに一局指してみました。レヴェル1には勝てるようになりました。