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【2017年6月26日】中村一義「永遠なるもの」を聴く

昨日の夜、表現行為についてブログを書いていたら、ある日本人アーティストを思い出しました。

 

 
” あぁ、部屋のドアに続く、長く果てない道…。
平行線の二本だが、手を振るくらいは…。

 

あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように。
暗いだなんて言うなって。全てよ、運命の想うままに。 “

 

” 愛が、全ての人達へ…。
あぁ、全てが人並みに…。あぁ、全てが幸せに…。
あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。

 

– 僕の人生はバラ色に変わったーっ!! – “

 

 
中村一義氏「永遠なるもの」(’97年) の歌詞の一部です。この曲は何度聴いても、比喩ではなくホントに鳥肌が立ちます。
当時は、引きこもりの宅録少年がいきなりメジャーのレコード会社からデビューした事で、J-POPシーンではちょっとした話題になっていました。

 

中村氏個人の趣味全開の音で、歌われているのは徹底して個人的な事という、まさしく宅録アーティストの典型パターンなのですが、その音は全然宅録っぽくなく、何とバンド・サウンドで、かのビートルズっぽい (特にドラムのノリ) というのがユニークでした。ポップで大きく開けています。

 

いろんな方のデビュー・アルバムを聴いてきましたが、私の中では、この曲が収録されている「金字塔」が、一番です。デビューまでの中村氏の人生全てが、このアルバムによって、プラスに転化されているという意味でです。
人生の一発逆転ホームランってあるんだなあと、「永遠なるもの」ならびにアルバム「金字塔」から教わりました。
「あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように。」は、心に刺さりました。

 

 

中村一義のオリジナルアルバム4枚、バンド100sとしてのアルバム3枚、初CD化となるデモ音源DISC1枚、過去のビデオクリップを収録したDVD1枚が入った豪華BOXセット「魂の箱」(2011年)。
ずっと追っていましたが、「金字塔」の思い入れが強いためか、リアル・バンド・サウンドになってからの音には、どうも馴染めませんでした。
このBOXセットを購入して、一週間ほどかけて、改めてちゃんと聴き返しましたが、やはり1st.が一番です。次に打込み主体の3rd.が、自分にはリアルに聞こえました。アンサンブルとかは、後の方がこなれているのですが。

 

 

その中の「金字塔」です。個人が世界に繋がった瞬間です。ジャケットも素晴らしいです。(画像を拡大して、よ〜く見てほしいです)

【2017年6月25日】プリンスの音、そして岡本太郎さんの言葉から更にスゴイのが (笑)

先日「自分の歌」のブログ記事を上げましたが、気になって、更に岡本太郎さんの言葉を検索してみました。
その中で、こういうのがありました。

 
みんなから歌がうまいと言われるヤツだって、自分はうまいけど、やはりあの人には劣っていると思っているものだ。そういう人の前で、平気に下手に、明るく歌を歌ってやればきっとうらやましがられる。ひとつ、いい提案をしようか。音痴同士の会を作って、そこで、ふんぞりかえって歌うんだよ。それも、音痴同士がいたわりあって集うんじゃだめ。得意になってさ。しまいには音痴でないものが、頭をさげて音痴同好会に入れてくれといってくるくらい堂々と歌いあげるんだ。

 
sunny-soulさんのブログから見つけました。ありがとうございました。

 

 

この文章は、表現行為の本質を見事に突いています。
表現行為というのは、自分のいわゆる短所・欠点や、それから引け目に感じている事、恥ずかしいと感じている事 (例えば、生まれ育った環境とか、学歴とか、異性関係とか、人それぞれ何でもあり) が肯定されて、見事にキレイに裏返ってキラキラと輝く、そんな行為です。

 

ところで子どもの頃、学校の授業で「将来の希望」について作文を書かされた事がなかったですか?あなたは将来何になりたいですか、というヤツです。私は何て書いたか、すっかり忘れてしまいましたが。
私にとって歌を作るのは「自分になる (戻る)」行為です。作り始めて気が付きました。私は多分、長い間ずっと、「自分」になりたかったんですね。

 

そして歌を作り始めてから、何の根拠もありませんが、妙な全能感というか無敵感みたいなのを、しばしば感じています。曲の出来・不出来を気にする以前の感覚でです。
私の場合はたまたま歌でしたが、表現の仕方はそれこそ人の数だけあるのではないでしょうか。
それぞれが、それぞれのやり方・想像力で、それぞれの自己を解き放って頂ければ、人生はオーライ、になります。(断言)

 


画像は、1985年のアメリカン・ミュージック・アワードで「パープル・レイン」を歌うプリンス。

 

今となってはファンなら誰でも知っている事ですが、プリンスの身長は150数センチと、かなり小柄でした。声量は決して豊かではありません。そして、ミネアポリスという、白人中産階級が人口の殆どを占める町で、ハーフの子として生まれ育っています。おまけに (?) 両親は子どもの頃に離婚して、親戚を転々としています。
プリンスが、人種や肉体や生まれ育ちにコンプレックスを抱いていたかどうかは、本人のみ知る事ですが、「パープル・レイン」(映画・音楽の両方) では、そんな自分をちゃんとオープンに表現したかったのだと思います。

 

プリンスの音は、白人のロックにも黒人のファンクにも馴染まない、極めて個人的なオンリーワンの音楽です。そして、亡くなった後にプリンスの音を聴くたびに、この人は表現しないと生きていけなかったんだろうなと、いつも思います。