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【2019年12月28日】ジョン・ライドンとビートたけし

若い頃から思っていたのですが、ここ数年で「やっぱりそうだったよなー」と、確信していることがあります。それは「ジョン・ライドンとビートたけしは似ている」ということです。

数日前にたけしネタ書いててまた思い出したので、そのことについて書いてみます。

 

 

 

方や、稀代のパンク・ロッカー (セックス・ピストルズ) → ニュー・ウェイヴのヘッドランナーとして、音楽史に残る数々の名盤を世に出し続けたアーティスト。方や、毒舌の漫才師 → 俳優、映画監督、画家、小説家…、表現領域をどんどん拡大していった、カリスマ・コメディアン。

 

 

ジョン・ライドンさんは中学生の頃ラジオや音楽雑誌で知り、たけしさんは高校生の頃、漫才ブームで知りました。当時私は、たけしさんをTVで観てラジオで聞いて「なんかジョン・ライドンっぽいな」と思いました。

 

 

 

大瀧詠一さんがハッピーエンド解散後、コミックソングばかり作っていた時期が続いてたんだけど、いきなりあの「ロング・バケーション」(←高クォリティーでオシャレなシティ・ポップスのアルバム。当時バカ売れした) を作ったのは、「コミックソングでなくても、音楽ってそもそもお笑いのようなもんだと気付いて」というようなことを、たしか週間FMかロッキング・オンのインタビューで喋ってて、なるほどなあと感心したことを憶えています。

 

 

表現って、つまりは「ボケ」なんですね。聴かれてナンボ。突っ込まれてナンボ。笑われてナンボ、のものじゃないかなと。(ちなみに「ツッコミ」は批評行為かなあ)

その昔、尾崎豊さんがブレイクした頃、あの大袈裟なパフォーマンスが笑いのネタにもなってましたが、そういうことなんですよ。マイケル・ジャクソンさんも笑えましたね (もちろん褒めている)。真似する芸人さんも居たような。つまりそれだけすぐれた表現だったということです。

 

 

ジョン・ライドンさん、ビートたけしさん、お二方とも「演じている (表現している) 自分をギャグにして笑う」という客観性が、素晴らしいところだと感じます。表現者であって且つ批評家な訳ですね。そして自分をギャグにして照れているところが私たちにも伝わるから、余計に面白いんですよね。

 

 

 

今となっては、ジョン・ライドンさんはコメディアン (!) に、たけしさんはマルチ・アーティストにと、昔と逆の立場になってるとこが面白いですね〜。

 

 

 

 

 

『アイム・ア・セレブリティ』はジャングルでサヴァイヴァル生活して他の出演者らと競うリアリティ番組です。この番組でジョン・ライドンはダチョウと格闘したり、暴れたり、ケーキになったり、放送禁止用語「CUN*S」発言をし番組が謝罪する事件に発展したりしてコメディアンとして大ブレイクしました。

 

ーー ブログ「NEVER MIND The Sex Pistols」より引用

 

 

あのジョン・ライドンが (笑)。。でも、この姿こそがジョン・ライドンという気もします。セックス・ピストルズの再結成も最高でした。

 

【2019年12月27日】「人類最期の日」転じて「人生最後の日」、完成!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*////

今月初めに産まれた「人類最期の日」、歌詞を一部書き直して「人生最後の日」に生まれ変わりました。既に完成されていたトラックに歌も乗せて、ようやく完成しました。

「人類最期の日」の歌詞は、書いたものの、抽象的過ぎてリアル感が足りないと感じて、しばらく寝かしてありました。それが何故急に出来たかといえば。。

 

 

 

数日前、島村楽器の「デジランド・クリエイターズ」に行った際、金沢の街を対象にした楽曲コンピレーションCDの話がありました。その中で「一人二曲までOK」というルールがあり、それを聞いて「この曲も金沢をテーマにしたら、歌詞が繋がってリアルに響くかもしれない」と閃きました。

 

 

それで改めて書き直したのが、以下の歌詞です。もし今日で人生が終わってしまうとしたら、景色はどう見えるんだろうか?何となく過ごしている毎日は、実はとても貴重な時間なんじゃないか?そんなことを歌った歌です。

分かりやすく書けたと自分では思っているのですが。。

 

 

 

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人生最後の日

 

 

もしもこの命今日で最後なら   あなたは何をして過ごしますか?

TVの誰かが泣き叫んでいた   ミサイルこの町に落ちるらしい

そう言えば今日まで何も考えず   ただなんとなく生きてきただけの

僕にはあまりに現実離れの   イメージ頭に広がった

 

消えては現れる月の姿   周り続けてる   太陽の軌跡

蛇口をひねると   水は流れ出し   繰り返されてく   毎日は奇跡

 

 

あっと言う間に僕らの   街に住んでいる人   みんな居なくなるんだ   みんなが…

 

 

僕が住んでるこの街に来たのは   20年前の今頃で

とある晴れた日に車をとばして   君や僕探す旅未だ途中

27歳で逝ったあなた達   実は僕より長く生きてたかも

ボヤボヤしていてハッと気がつくと   人生最後の日は今日だった

 

 

あっと言う間に僕らの   街に住んでいる人   みんな居なくなるんだ   みんなが…

 

 

ジンセイサイゴノヒ…

 

 

道端に枯れている秋の草に   光のシャワーが降り注ぐ

カーペットのような芝生の上に   モミジの葉っぱが散っている

兼六園や大乗寺公園   君と過ごしたあの場所たち

二度とは来ない奇跡の時間だと   今気づいたけど時すでに遅し

 

山側環状の銀杏並木   今まで全然気づかなかったよ

港を染める鮮やかな夕焼け   もう一度見たいと思い出したよ

見慣れた町の風景一瞬で   セピア色に染まって見えてきた

初めて来た日のあの風景が   アタマの中で再生されたよ

 

消えては現れる月の姿   周り続けてる   太陽の軌跡

蛇口をひねると   水は流れ出し   繰り返されてく   毎日は奇跡

 

 

あっと言う間に僕らの   街に住んでいる人   みんな居なくなるんだ   みんなが…

 

あっと言う間に僕らの   街に住んでいる人   みんな居なくなるんだ   あなたも!

 

 

ジンセイサイゴノヒ…

 

 

 

 

 

「道端に枯れている秋の草に   光のシャワーが降り注ぐ   カーペットのような芝生の上に   モミジの葉っぱが散っている」の歌詞が生まれた風景。

 

人生最後の日に、景色はキレイに見えるんだろうか?

 

今まで生きてこれて、ほんとによかったなあと感謝出来るんだろうか?

 

 

 

 

 

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