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【2020年12月28日】「クリエイトすること」について考えてみる 〜 創作のモチベーションはどこからくるのか?

 

 

 

面白い記事でした。タイトル「『いいね』が全くつかなくても、作品を発表し続ける意味はあるのか?」。私からみると自明な問いかけですが、実際にいるんですよね、「音楽って儲かりますかね〜」とか聞いてくる人とか。

あと知り合いになったミュージシャンで、SNSの「いいね」お願いしますとか、YouTubeチャンネル登録お願いしますとか、あとツイッターのフォローお願いしますとか、真剣に言う人がいるので驚きです。

 

 

まあモチベーションは人それぞれでいいんじゃないかと思いますが。実際「サラリーマンはヤだから」「モテたいから (他者から承認されたいからも同様)」で、一生懸命にやったり。

もちろん、単なる「好き」を超えて「これしか出来ないから」「他にやる事など考えたこともない」という、切羽詰まった理由で、創作を行なっている方々もいらっしゃいます。

実際のところ私はどうなんだろうと考えました。

 

 

 

 

この記事の数日前に、村上春樹さんがディスクジョッキーをつとめるTOKYO FMの特別番組「村上RADIO」の記事が、同じくYahoo!ニュースに上がっていました。

その中でこんな話をされていました。

 

 

僕はいつも言うんですけど、本当の音楽とか、本当の文学とかを理解する人の、あるいは理解しようと努める人の数って、だいたい全人口の5%くらいなんです。その5%のコアな人たちは、流行り廃りに関係なく、日常的にしっかり腰を据えて本を読んだり、音楽を聴いたりします。たった5%かって思われるかもしれませんが、でも日本の場合、5%だとだいたい600万人くらいになりますよね。そういう人が600万人もいれば、それでまあ十分じゃないですか。けっこう豊かなマーケットになります。そういう意味合いで、僕は今の状況に対してそれほど悲観的ではないんです。

 

ーー12月27日「村上春樹「あっと驚く意外な人たちが登場します」2つのサプライズを発表! その中身とは?」より引用

 

 

面白い発言だな〜と感心しました。

その5%の人たちは、スーパーマーケットやコンビニエンス・ストアでパンやお惣菜を買うように、あるいは、ガソリン・スタンドで給油するように、何の躊躇いもなく音楽や本を買っているのでしょう。

つまり、欲しいというよりも、どうしても必要だからお金を払っている。そんな人々がいるので、音楽も文学も廃れはしない、ということなのでしょう。

 

 

そして、そうしたリスナーや読者の中の、更に数パーセントの人たちが、やむに止まれず、自分で奏で始めたり、語り出したりするのでしょう。自分の食べたい料理を自分で作るように。

創作は自分の意思でというよりも、自分にとって必要だから行う。「好きだからやっている」つもりの、私の曲作りのモチベーションは、案外そんなことかもしれないなあと。

 

 

 

アルバムが完成して実は、他人はどう聴こえるんだろうとかちょっと気になっていたんですが、この記事を読んでいると、そんな事はどうでもいい気がしてきました。聴く人は聴くし、聴かない人は聴かない。それでいいんじゃないかと。

もっと満足出来る曲が出来るように、日々精進したいなあと。

 

 

【2020年12月27日】「舞踏会」歌詞を書き直しました

数日前に、YOASOBI「夜に駆ける」を聴いていて、以前作った「舞踏会」を思い出した話を当ブログに上げました。その翌日に、世界中の人の生まれた西暦の年と今の年齢を足したら2020になる、という話を聞き、それも上げました。

何故か?その二つが自分内できれいに繋がって、突然「舞踏会」を歌詞を書き直すことにしました。

 

 

以前の歌詞は、自分の人生と、芥川龍之介「舞踏会」の世界観を無理矢理繋げた感があり、どうもイメージが散漫になったと感じて、そのテイクはお蔵入りしました。

今回のはどうでしょうか?正直言って、書き上げたばかりなので、まだ冷静には自己評価出来ていません。読みようによっては、ラブソングとも捉えられます。

 

 

音作りも結構気に入っている曲なので、何とか完成させたいなあと。ちなみに朗読のパートも大きく増やす予定です。自分でも楽しみです。

 

 

 

 

 

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舞踏会

 

 

それは一度だけの奇跡 訳も分からないまま ここにいる

この世と呼ばれる 処に生まれて 息吸って吐いて 日々過ごしてる

 

それは二度とはない奇跡 陽はまた昇り くりかえす

日々過ぎてゆき 歳老いてゆく 枯れ木のように 朽ち果ててゆく

 

 

※赤や藍色   白や黄金色 それぞれの色で輝く

遠く近くに 生まれては消え やがて夜空に吸い込まれる

 

 

それはもう一回だけの奇跡 君に逢えた あの日の午後

それぞれの道を 歩んでいたのに いつしか交わり 一緒に歩いてる

 

 

※くりかえし

 

 

僕は君と花火みてる 何もかもが夢のよう

確かなものに触れたくなって 君の手をギュッと握りしめた

 

 

※2回くりかえし

 

 

(朗読)

 

「その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手くもでに闇をはじきながら、まさに消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。

 

『私は花火の事を考へてゐたのです。我々のヴイのやうな花火の事を。』(『我々の生のような花火の事を』)

 

 暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。」

 

ーー芥川龍之介「舞踏会」より

 

 

僕は君と花火を見ている。何もかもが、夢のよう。

僕は君と花火を見ている。何もかもが、夢のようだ。

何だか確かなものに触れたくなって、思わず君の手を、ギュッと握りしめた。

 

赤や藍色、白や黄金色。それぞれの色で輝いている。

遠く近くに生まれては消え、やがて夜空に吸い込まれる。

遠く近くに生まれては消え、やがて夜空に吸い込まれる。永遠に。