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【2021年11月27日】ECD「ECDIARY」を読む

 

 

 

前回「本を読まなくなった」と書いたのが、どうやらフラグだったようで、先日ぶらっと入った、とあるCDと古書のイベント場で、あっさりと本を購入してしまいました。買ったのは、ラッパーであり文筆家であった、故・ECDさんの「ECDIARY」(‘04年)。本を読んだのはどれだけぶりでしょうか。

 

 

 

ECDさんの初めての著書であるこの「ECDIARY」、私が読んだ他の著書と同じく、日常生活や音楽活動、そして音楽やカルチャーに関する雑感を簡潔な文章でまとめたもので、あっという間に読了してしまいました。

 

 

何度か書いていますが、共感出来るところがとても多く、というか、私の方が影響を受けていて感化されているという感じです。この人がいなかったら、私は日本のヒップホップは聴いていないんじゃないか、今となってはそんな気さえします。

 

 

数年ぶりにその文章に触れて初めて気付いたのは、センテンスが短く、リズミカルに繋がっていること。そして誤解を恐れない断定的表現が多い。それがスラスラと読める一因ではないかと。つまり、彼の楽曲で聴けるリリックのようです。(今までは、そんなところはあまり考えずに読んでいました)

 

 

 

日記の後半に、当時のCCCD (コピー・コントロール・CD=PCでコピー出来ないCD) 騒ぎについての言及があり、懐かしく読みました。

今となっては「タダでコピー出来るからCDが売れないんだ」のレコード会社理論は全く的外れであることが自明ですが、当時は真剣に言う方々がいらっしゃって、実際にCCCDがリリースされていた訳です。

 

 

この言及は20年近く経った今でも、サブスクとフィジカルの問題にも重ねることが出来る素晴らしい意見ではないかと、大いに共感しました。そのまま写メって載せます。

 

 

 

 

 

最後の方。

 

…CD−Rには音を聴くという使い途しかない。しかし、オリジナルであるCDには愛情を注ぐという、無限大の使い途があるのだ。ポテンシャルが圧倒的に違うのだ。その点でコピーがオリジナルを凌駕することはありえない。

 

 

私が日々デジタル音源を聴きつつも気に入ったらCDを購入する理由が、まさにこれに尽きます。

本当に久しぶりにECD節を堪能出来ました。

 

 

【2021年11月25日】本を読む楽しみについて

 

 

朝、何気にYahoo!ニュースを開いていて、目に留まった記事です。

 

 

 

私は子どもの頃から音楽同様に本が大好きで、というか音楽をちゃんと聴き始める前は本やマンガの方がウエイトが高くて、学校や市の図書館で本を借りまくって、毎日読んでいました。その頃は小説が好きで、家にあった子ども向けのダイジェスト版世界文学全集を読み、気に入った小説は分厚い翻訳本を読み返したりしていました。

 

 

いつの頃からか読む量は減り、読書のジャンルが大きく変わっていきました。小説は村上春樹さんを最後に全く読まなくなり、読むジャンルは、エッセイや哲学書・思想書、評論 (含音楽評論) に限られていき、そして近年、本自体を手に取ることもなくなりました。

手元にあった数百冊?数千冊?の本たちも、数年前にその殆どをリサイクル・ショップに売り払いました。捨てるよりは、どなたかの手に取ってもらえた方が本の為にも良いのではと思ったからです。

 

 

しかし、活字を全く読まなくなったかと言えばそんなことはなく、代わりに?インターネットのWEBサイトを閲覧しています。時間は本を読んでいた頃に比べて微々たるものですが。

 

 

 

本を読む楽しみは、音楽を聴く楽しみと似ています。すごく単純にいえば、今感じている自分の世界とは全く別の世界を、考え方を、読書によって感じることが出来るところです。それは小説やノンフィクションに限らず、思想書や評論書でも同様です。

ある意味、異国に旅をして、現地の、自分と全く違う人たちに触れるのと似ているのではないかと。(ちなみに私は、旅は全くしません)

 

 

今、私が本を読まなくなったのは、単純に、自分の世界に満足していて別の世界観が若い頃ほど必要なくなったからではないかと。

逆に今、こうして文章を書いたり、歌詞を書いたりして、今感じていることは勿論、若い頃から感じてきた言葉の世界をも、自分なりに咀嚼してアウトプットしていますが、まあ今はそんな時期なのかなあと。