【2018年6月10日】「木を見て森を見ず」を思う

自分でPCソフトで制作を始めてから、他人の音源(CD)を聴く耳が少しずつ変わってきました。
そして、ソフト・オンリーで作っていると思われるエレクトロニカやテクノに散見する、細部はやたらと凝っているけれど曲全体の世界観が掴めない曲たちの聴き方・楽しみ方が広がりました。

 

 

つまりこれは、昔のロックで言うと、やたらと上手いギタリストがソロ・アルバムなどで曲の全体像は二の次で、ギターを弾きまくっている、そんな感じの音楽なんですね。ギター・フリークにとっては聴きごたえがありますが、普通の人が聴いてもイマイチ響いてきません。そんな類いの音楽。

 

 

 

 

昔のことわざに「木を見て森を見ず」という言葉があります。デジタル大辞泉では、「事物の末梢的部分にこだわりすぎて、本質や全体をとらえられないことのたとえ。」とありました。もちろんプラスの意味ではありません。昔読んだ「金田一少年の事件簿」「名探偵コナン」などにも時折トリックの例えに、この言葉が出てきたと記憶しています。

 

 

でも私は、プラスに捉えています。

森は木々から構成されています。視力の良くない人が遠目で森を眺めると、まさしく「 森」に見えますが、ものすごく視力の良い人が、同じく遠目で森を見ると、もしかしたら森以前の、一本一本の木々から意識されるかもしれません。

森しか見えない人が森を見るのと、木々も意識出来て、尚且つ森も把握出来る人が森を見るのとでは、自ずと見方が変わってきます。

何ごとにおいても、ミクロとマクロの視点を持つことは大事だと思います。「木を見て森を見ず」ならぬ「森を見て木を見ず」にならないようにしたいと。

 

 

 

 

買ったけどあまり聴いてなかった、特にエレクトロニカのCDには、当時の私にはそんな木々しか見えないような音源が時々あって、買った当時は、だから聴かなかったのですが、今聴くと、その細部の拘りこそが聴かせたいところではないかということがよく分かりました。

細部こそが、全体の世界観 (森) であるような音楽です。

 

 

 

ソフトを触っていると、いろいろと考えさせられます。

 

 

 

 

日本のエレクトロニカ・クリエーター、Serph (サーフ) さんのアルバム「vent (ヴェント) 」(’10年)。細部のこだわりが尋常ではありません。木の葉の筋を一枚一枚写生して、結果的には森を描いています。ジャケット通りの音です。