「ギター」ですが、車の運転中に歌の練習している際に、歌い出しが「僕が〜」なのに、クライマックスでは「ねえママ、この歌を〜」と歌っているのに気がつきました。
あきらかにおかしいので、最初は何気に「ねえパパ〜」に変えたのですが、歌ってみてどうもしっくりとこなかったので、思い切って歌い出しを「あたしが少女の頃〜」と、歌の語り手を女性に設定して歌ってみたところ、こちらの方がいい感じに聴こえたので、そうしました。
人称代名詞が歌い手・作者と性別が異なったらどうなるかと言えば、フィクション度・抽象度が高くなります。「僕が少年の頃〜」だと、歌い手が自分の事を歌っている風に聴こえますが、声が男性で「あたしが少女の頃〜」だと「あ、物語 (フィクション) を歌っている」と、直感します。
実は古今東西、この手法は多く使われていて、いろんなすぐれた作品が残っています。小説でもよくあるみたいです。古くは太宰治の「斜陽」とか。有名なアーティストだと、故・プリンスさんが、’80年代のアルバムで、時々女性になりきって歌っていました。
プリンスさんの場合、レコーディングした声を、テープの回転数を上げてカン高い声に加工して、更には「カミール」という架空の女性キャラクターまで設定して歌っていました。徹底してますね〜 (笑)。「サイン・オブ・ザ・タイムス」(‘87年) に数曲入っていますが、「プリンス カミール」で検索したら、同時期にカミール名義のアルバムまで用意していたみたいです。(未発表)
そして何と!プリンスさんは「犬」になって歌っている歌まであります。「La, La, La, He, He, Hee」という、これまた「サイン・オブ〜」期の曲です。「I am a dog〜」と歌い出して、途中から犬になりきってワンワンと吠えています。いや、すごいですね。。曲のクォリティも高いです。
日本でも、井上陽水さんが女性人称で歌っていました (今もかな?)。自曲のみならず、中森明菜さんとかの女性シンガーへの提供曲のセルフ・カバーもしていました。「飾りじゃないのよ涙は」など、明菜さんの歌に勝るとも劣らない色気がありましたね。
あと宇多田ヒカルさんも、「私」「僕」「i」「She」などいろんな人称代名詞を使いますが、異色なのは「俺の彼女」「ぼくはくま」です。前者は「俺」になりきって、ドスの効いたボーカルを披露、後者は「くま」(ヒカルさんが大好きなぬいぐるみのくま)になりきって歌っています。
探すと際限なくありそうですが、つまりは、ヒトの想像力は性別や人間さえも超えてしまえるという事ですね。
役者さんもそうだと思いますが、現実の自分以外の何かになれるというのは実に楽しい事です。まあ「恥ずかしい」と感じる方も多いかと思われますが、そんな方は単純に、役者とかミュージシャンになる必要がない人なのでしょう。(他意なし)
そのカミールのアルバムのブートレッグがニコニコ動画に全曲アップされていました。「サイン・オブ・ザ・タイムス」収録曲が中心ですが、未発表曲も聴けました。
私の好きな「ストレンジ・リレーションシップ」も収録されていました。この曲はプリンス&カミールのデュエット曲です。