【2019年12月26日】スティーヴィー・ワンダーやっぱり目が見えていた!というニュースを読んで

 

 

先日のYahoo!ニュース記事より。

 

 

 

スティーヴィー・ワンダーさんは、アメリカが誇る天才ミュージシャンの一人。全盲で知られています。記事に書かれているのは「実は見えている!」説で、その説を裏付ける数々の証言が引用されています。

東スポの記事なので丸々信じるのはどうかと思います。なので私は逆に「やっぱり見えてなかった!」説を考えてみました。

 

 

 

裏付けとなるのは、何と言ってもその楽曲です。

スティーヴィーさんは’70年代に、ポップで且つクォリティーの高いアルバムを続けざまにリリースして、当時から既に神格化した存在でした。その楽曲の革新性・クォリティーを支えていたのは、彼の弾くシンセサイザーでした。

当時のプログレッシヴ・ロックで多用されていたシンセサイザーへのアプローチと全く違った使い方でシンセサイザーを弾きこなし、楽曲制作に結びつけていました。

 

 

当時のシンセサイザーは、ツマミがたくさん付いていて、そのツマミ類と鍵盤で操作するというもので、つまり、視力がなくても使用できるものでした。

ところが時代が進むにつれシンセも進化していき、小さくなり、ツマミもどんどん減っていき、ディスプレーを見て操作するようになりました。視力が無いと使い難い道具になっていったのです。

並行して、スティーヴィーさんの音楽も、革新性が損なわれていったように感じます。’80年代の頃です。

 

 

これは単なる偶然ではないと思います。現時点での最新作「ア・タイム・2・ラヴ」(‘05年) を聴くと、ほぼ生演奏主体となっています。そのため?なのか、’80年代〜’90年代のアルバムに比べると格段に良い出来に聴こえます。

 

 

それから、メロディ。

彼の書くメロディは一聴して、あ、スティーヴィーだ、と分かるくらいに特徴的で、且つ美メロが多いです。

黒人ミュージシャンは、音楽=肉体性、つまりリズムが音楽としてのアイデンティティーになる方が殆どですが、スティーヴィーさんは、リズムではなくメロディにアイデンティファイしているように感じます。単純に、見えないので肉体的ではなく観念的な曲作りになるのではないかなと。

 

 

 

などとツラツラと書いてきましたが、いい音楽作って下されば、実はどっちでもよくて (笑)。というか、ほんというと、薄っすらと、ボンヤリとだけど見えてるんじゃないかなと。

何故なら、2〜3回結婚されているんですが、嫁さんがみんな超美人ばかりなので (笑)。見えないことないだろう、と (笑)。

 

 

 

ともあれ、そろそろアルバム出して欲しいなあと、切に思います。