数日前、長年懇意にさせて頂いていた叔父が亡くなりました。それで一昨日、葬儀に出席する為に愛知県まで行ってきました。当ブログに何か遺しておこうと何度か書こうと試みたのですが、全くまとまりません。結局、思い出話をツラツラと書き連ねるのが一番の追悼になるかなと思い、ようやく書き始めています。
その叔父は、私の母の妹と縁あって結ばれて、私と親戚関係になりました。私が小学生の頃です。
しょっ中会っていた訳ではありませんが、時々遊びに行くと、必ず叔父の書庫をこっそり覗いていました。今となっては「平家物語」が全巻 (?) ズラッと並んでいたぐらいしか憶えていませんが、たくさんの本を眺めたり手に取ったり匂いを嗅いだりして、本好きの子どもだった私はそれで十分満足していました。
当時人見知りが激しく、特に大人には警戒心がとっても強かった私ですが、その叔父には心を開いて普通に話をしていました。これには訳があります。
話は少し戻ります。叔父の妻、つまり私の母の妹は音楽が好きな人で、家にピアノもありました。とても優しい方で、大好きだった叔母です。
私は幼稚園児の頃、友だちとは遊ばずいつも一人で幼稚園のピアノを弾いていた程ピアノが好きでした。母は、私をその叔母のところでピアノを習わせようと、私を連れて行った事があります。今でも鮮明に憶えていますが、叔母と母の前でピアノを弾くのがとても恥ずかしくて、石のように固まっていました。それで、ピアノを習う話はなくなりました。
母はぶつぶつ言っていましたが、叔母はやさしく笑っていました。
そんな素敵な叔母と一緒になった人だ、いい人に決まっている、多分そんなふうに、子ども心に直感していたんじゃないかと。(憶えていませんが)
そしてその直感は見事に当たっていました。
時を経て、それから約40年数年後。若い頃曲を作ろうと試みたけれど、己の才能のなさに気付き挫折して、創作からすっかり遠ざかっていた私でしたが、何故か?急にメロディが生まれ歌詞が書けて、曲を作れるようになって、勢いCDをリリースする事になりました。あまりにも嬉しかったので親戚の方々に、そのCDを配ったのですが、一番喜んで下さったのが、その叔父です。TELやメールを頂き、感激しました。
叔父は若い頃から市民オーケストラでユーフォニウムを吹いていました。なので、音楽の楽しさ及び厳しさ、を身に染みて知っていたのでしょう。だからこそ、あれ程まで喜んで下さったんだと、今振り返って思います。
血は繋がっていませんが、妻である叔母同様、親戚関係では自分と最も近いところにいた人なのではと、勝手に思っています。オーケストラ、一度でも観に・聴きに行きたかったです。
月並みの言葉ではありますが、天国で叔母と末永く仲良く暮らして下さい。謹んでお悔やみ申し上げます。
火葬場の庭より。