【2018年6月2日】前回の続き 〜 Utada「エキソドス」と宇多田ヒカルの音の違い

前回は英語と日本語の歌詞についての話で終始しましたが、今回は、このアルバムの音について。

 

 
発売当時このアルバムは、問題作というか、はっきり言えば失敗作のように捉えている人が多かったように記憶しています。一番の要因としては、ターゲットとしたアメリカで売れなかったからです。
アーティストの作品をセールスでしか判断しない (出来ない) 人は昔から一定数いるので、仕方がないかもしれませんが。(作品は「商品」でもあるので)

 

 

私はと言えば、一番好きかどうかは分かりませんが (その時その時でフェイヴァリットは変わるので) 、宇多田さんの数あるアルバムの中で一番聴いたアルバムの一枚であることに間違いありません。

 

 

このアルバムは、デビュー・アルバム「ファースト・ラヴ」から、サード・アルバム「ディープ・リヴァー」までと、曲調がすっかり変わっています。まるで洋楽みたいだと当時思いました。(というか今思うと、本人は洋楽として作っているので当然なんですが…)
そして、切なさ・哀しさが薄れたように感じました。おそらく、「フォー・ユー」「ファイナル・ディスタンス」その他で聴かれる、マイナー・キーで歌われる、恋愛の本質を突いた歌詞の歌がなかったからではと。そんなところも、このアルバムの評価が低かった理由でもあるかと。

 

 

当時は何にも考えずに楽しんで聴いていましたが、今思うにこの違いが、Utadaさん言うところの「言語が違えば作風も変わるんだから」ということなのでしょう。
以下、歌詞カードの対談から、私にとっては重要な言葉と感じた箇所なので、前回に続いて引用します。

 

 
「…第三者の視点で『彼女はこういう人生を生きている』という風に歌うのは、日本語だとうまくいかない。基本的に日本語は、楽器が極力少ない薄いオケに乗せて『私はこうで、ああなんです』とわりと抽象的なことを直接言うほうが向いてるんだろうな。だから何がどう違うのか分からないけど、言語によって言葉の作用の仕方が全然違うんですよね」

 

 
そんな耳で聴くと、宇多田ヒカル名義の名曲の数々は、全て「楽器が極力少ない薄いオケに乗せて『私はこうで、ああなんです』」と歌われています。
宇多田さん自身、数々の試行錯誤をした結果、こういう言葉・こういうアレンジ、そしてこういうメロディに辿り着いたのだと感じます。

現時点での最新作「ファントーム」(2016年) も、まさしくそんな歌の数々です。もうすぐ発売されるアルバムも、基本、そんな音だと予想します。少ない音+情景や現象ではなく本質を歌う言葉。

 

 
ところで宇多田名義でも、メロディが洋楽のUtadaっぽい作りの曲が、アルバム曲のみならずシングルにもちらほらと見受けられます。今になって気が付きました。
「パッション」「ステイ・ゴールド」「キス&クライ」などです。「パッション」は、洋楽ライクなメロディが続く中、ラストでいきなりJ−POPのメロディが強引に入ってくるところが、「キス&クライ」は、「エキソドス」収録曲のメロディがそのまま日本語が乗って流用されているところが、聴きどころではないでしょうか。

 

 

そして「ステイ・ゴールド」は、ピアノのリフの間を縫って歌われるフワフワしたメロディが実に美しく、マイ・フェイヴァリットの一曲です。
面白いのは、今挙げたどの曲も宇多田ヒカルさんの曲にしては、さほどのヒットをしていないところです。実に分かりやすい世間のリアクションです。

 

 

そうそう。あと、シングル「カラーズ」(’03年) のカップリング「シンプル・アンド・クリーン」は、アルバム「ディープ・リヴァー」収録の大ヒット曲「光」の英語ヴァージョンですが、歌い出しの、あの印象的なメロディが「光」と全然違います。
このメロディは、「もともと『光』で使用するメロディだったのが、歌詞があわずにボツとなったものを、この曲で再び使用した」(ウィキペディアより) そうです。

 

 

「光」は、あの歌い出しのメロディでないと成立しないような曲だと思っていましたが、英語ヴァージョンのウネウネしたメロディは、これはこれで味があります。ベスト盤に入ってなかったので、youtubeとかニコ動などで聴けるかもしれません。
J−POPメロディのお手本のような「カラーズ」と続けて聴くと差異が大きく、両方の曲ともその良さが更に味わえます。
それにしても、次のアルバムが楽しみですね。

 

 

 

 

内ジャケだけ発見!多分手書きと思われるコード譜も付いていました。シックスやadd9のコードを多用していますね。早速コピーしてみました。