【2018年1月20日】前回の続き 〜 尾崎豊さんの曲は美味しい水のよう

リアル・タイムで尾崎豊さんを聴いてこなかった私は、この「ブルー」「グリーン」2枚のトリビュート・アルバムとライブDVDで、初めてちゃんと出会えた気がしました。
この2枚を購入したきっかけも、前回の槇原敬之さんの歌を、たまたまラジオかCDショップ (どちらか忘れました) で聴いて興味を持ったからです。

 

 

そしてトリビュート・アルバムを聴いて、その曲の良さに驚きました。
リアル・タイムでの尾崎豊さんは、洋楽ばかり聴いていたその頃の私には、そのパブリック・イメージとファンのリアクション (「俺の尾崎が…」とか 笑) がどうにも苦手で、自分とは無縁の人だと思っていました。歌声も、有線やCDショップなどでしょっ中耳にしていた筈ですが、今思うと、心のどこかでシャットアウトしていたようです。

 

 
話を楽曲に戻します。
カバーなので、それぞれがそれぞれの解釈で歌っているのですが、そのどれもが、原曲を損なわせずに、ほぼその人の世界観を表現しています。
「ブルー」だと特に「僕が僕であるために」や「闇の告白」「太陽の破片」など、そしてあの「アイ・ラヴ・ユー」ですら、それぞれ、桜井和寿さん、斉藤和義さん、岡村靖幸さん、宇多田ヒカルさんの、オリジナル楽曲のように聴こえます。(私は「アイ・ラヴ・ユー」以外、原曲はカバーの後から聴いたので、尚更そう聴こえるのかもしれません)

 

 

これは、参加したアーティストのセンスが良いというのももちろんありますが、最大の要因は、尾崎豊さんのソングライティング力に依るところが大きいのではないかと感じます。
メロディのスタンダード性が高いというか、どんな解釈で歌っても、ちゃんと曲の世界観も歌い手の個性も伝わる、そんな楽曲です。
まるで、どんなクセのあるお酒も美味しく割れる、澄んだ水のようです。もしかしたら、私がカバーしてもそれなりのものが出来そうな気がします。

 

 

もう一つのアルバム「グリーン」ですが、こちらは私の知らない楽曲を、私の知らないアーティストたちが歌っているので、「尾崎ブランド」の先入観は「ブルー」よりも希薄です。「ブルー」よりも余計に、楽曲の良さが際立って聴こえます。
特によく聴いたのは「失くした1/2」「群衆の中の猫」「ファイアー」で、「え?尾崎豊ってこんな曲も書いていたんだ」と、後からオリジナルを聴き返した程です。何しろ、私の青春時代には全く無縁だった「盗んだバイクで走り出し」「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」イメージしかなかったもので…。

 

 

特に、ヤングSSというツイン・ギターのバンドがカバーした「失くした1/2」。
ある意味オリジナルとは真逆の、囁くを通り越して独り言をつぶやいているような自己主張しないボーカルが、儚くもきれいなメロディ・ラインに上手くはまって、とてもいい味を出しています。ボーカルが過剰でない分、歌メロの良さが際立って聴こえるという訳です。

 

 

ちなみにこの曲と、カジュアルスナッチというバンドの「ファイアー」は、「ザ・ナイト」でのライブのアレンジの方が、ちゃんとバンドの音として鳴っていて、「グリーン」バージョンよりも数段良いです。
「ブルー」に収録の、山口晶さんという、アコギ+ブルースハープのシンガーの歌う「街路樹」も、よく聴いたのは大袈裟なアレンジのアルバム・バージョンよりも、ライブの一人弾き語りバージョンの方です。

 

 

生前は、本人のあまりにも強烈なイメージの為か、メロディの良さまで言及する方は、ファン以外ではいらっしゃらなかったと記憶していますが、こうして時が経ち何の先入観なく聴くと、余計にそう感じます。
本人の強烈な独自性・カリスマ性+誰もが口ずさんだり、カラオケなどで、自分の歌としてそれぞれの思いを入れて歌える、楽曲の普遍性。これは伝説にならない方がおかしいですね (笑)。

 

 
尾崎豊さんが逝去して、はや25年経っています。今回このブログを書くのに、10年以上ぶりに「ブルー」「グリーン」を聴き、そして「ザ・ナイト」を観ましたが、その印象は、これらの音源に初めて接した時と何ら変わりはありませんでした。むしろ時を経て、当時よりも更に楽曲の普遍性が証明されている気がします。

 

 

 

エヴァーグリーンな楽曲の数々が、今後も救いの歌として歌い継がれていきますように。

 

 

 

 

 

 

「ザ・ナイト」から。この企画で一般公募から選ばれ「卒業」を歌った高田梢枝さん。歌い終わって泣き崩れる様子。今も音楽活動をしていらっしゃるようです。