【2018年1月21日】小室哲哉さんはどんな音楽を作っていたんだろう?

小室哲哉さんが引退を表明されました。
その経緯等は置いといて、私が気になるのは、過去の活動や作られた楽曲に対する評価についてYahoo!ニュースでいくつかの記事を拝見して思ったことです。

 

 

 

どの記事も、どれだけ作ってどれだけ売れたか、何人の歌手をプロデュースしたのか、NO.1ヒットを何曲作ったのか、そんなことばかり書かれていて、肝心の、小室哲哉さんの音楽性や楽曲の良さに触れたものがほぼ見当たらないのが、とても残念でした。
私が読んだ記事の中では唯一、音楽ジャーナリストの鹿野淳さんのみが、小室哲哉さんの音楽性について触れていました。

 
…一言で言えば、小室さんがヒットを量産するまで、日本の音楽の中心は演歌に端を発する、切なくて、心の孤独や冬景色などを合わせていったものにルーツを持つ歌謡曲だった。そこに、クラブやディスコ、ヨーロッパで流行っていた音楽を持ち込んで、“ポップミュージック“に変えていった立役者だと思う。… (以下続く)

 

AbemaTimes 1/21 音楽評論家・鹿野淳「小室さんの音楽的な手法、遺伝子は今も残っている」より

 
鹿野さんの評論は数十年前の「ロッキング・オン」でよく目にしていました。ロック畑出身のジャーナリストしか小室さんの音楽性についての言及がないというのは、情けない話です。
鹿野さん自身もその記事で「ロックジャーナリズムにとっては反面教師というか、大衆の代表としてあまりにも大きく、ロックというカウンタカルチャーのいわば矛先だった」と仰っています。平たく言えば、自分たちの支持する音楽の敵だと考えていた訳ですね。
私はこの記事を読んで、あの頃小室さんを支持していた人たちの言葉が聞きたいと思いました。

 

 
まあこうした売上などの数字についての評価しか上がってこないというのも、ポップ・ミュージックは資本主義社会の一商品としか、一般の人たちには見做されていないので、当然なのかもしれません。今の世の中のサブカルチャーの評価基準は、CDは売上枚数、本や雑誌は発行部数、映画は観客動員数、TVは視聴率です。コンテンツの内容よりも、そっちなので。
人々は小室哲哉さんに対して、そんな数字にしか興味がないから、音楽性についての記事が書かれないのでしょう。残念なことです。

 

 

近年はネットの普及で、そんな「数字神話」の信者も減ってきたと思います。
音楽に関しては、ネットを含めお金のかからない視聴環境が、昔と比べて大きく進歩しています。「お金がかからなくなってきている」とは、音楽が「資本主義社会で消費される商品」から「人間に必要な文化の一部」へと、ジャンプアップ?したことなのだと思います。本が文化財として図書館で読めるように。そして報酬がなくても (資本主義原理に関係なく) 音楽を演っている人々も増えています。

 

 
資本主義原理に忠実な音楽を作り続けた小室哲哉さんと、当時のリスナーとしての私の接点は、全くありませんでしたが、こんなにも多くの人々に支持されたアーティストの引退記事が、ゴシップの掘り下げと過去の記録を讃えるだけでは、あまりに寂しいのではないかと感じました。

 

 

先日の尾崎豊さんではありませんが、遅まきながら小室哲哉さんの音楽に興味が湧いたので、今からでもいいので聴いてみようかなと思っています。
多くの人々の心を動かした天才の作った音楽です。オープンな心持ちで耳を傾けると、私個人の好みを超えたところで、きっといろんな発見があるのではと、ちょっと楽しみです。

 

 

 

 

小室哲哉さんの楽曲で、当時購入した唯一のCDが、H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーブメント」(’95年)。画像は同年の紅白歌合戦で歌う浜田さん。

 

 

多分、私がレゲエ好きで、この曲が当時のレゲエ/ヒップホップ界で流行っていたビート「ジャングル」を取り入れたポップスだったので、飛びついたのだと思います。カラオケでも歌っていました。
ゆったりしたレゲエのリズムで始まりますが、途中ブレイク&転調して、一転ジャングルのビートに変わります。ここが聴きどころ。コードはカノン進行です。
「ジャングル」の「ジャ」の字も知らない当時のごく一般的な音楽リスナーに、このリズムをポップに聴かせるセンスは、今聴いてもやっぱりすごいですね。小室哲哉さんの隠れた?名曲だと思います。歌詞も何気によいです。

 

 

ウィキペディアには「イギリスのサブカルチャー雑誌『i-D』に『世界で初めてジャングルで100万枚を売り上げたプロデューサー』として小室哲哉が特集された。」とありました。ここでも売上数字です。(笑)