【2018年3月20日】「太陽の塔」の思い出

 

 

先日のニュースから。
大阪万博のシンボル、あの太陽の塔の内部がリニューアルされ48年ぶりに一般公開が始まりました。

 

 

私が大阪万博に行ったのは、幼稚園児の頃。父親に連れられてです。今でも3つ程、その時のことが記憶に残っています。
一つは、アメリカ館で見たアポロ宇宙船。一つは、生まれて初めてカメラのシャッターを切ったこと。そして一番鮮明に記憶に残っているのが、この太陽の塔です。塔をずーっと眺めていた記憶が残っています。

 

 

帰ってから、幼稚園 (小学校?どちらか忘れました) のお絵描きでも、思い出して太陽の塔を描きました。確か太陽の塔のまわりを飛行機とかウルトラマンとか怪獣が飛び回っている、無茶苦茶な構図です。描いているうちに興奮してきて、更にメチャクチャな絵になったと、そんなところまで記憶しています。
多分ですが、太陽の塔は子ども心には、TVの世界で動き回っているウルトラマンや怪獣たちが、実際の目の前に現れた、そんなインパクトがあったのだという気がします。
今の子どもたちが、現代に蘇った「太陽の塔」を観たら、どう感じるのでしょうか。興味深いです。

 

 
ところで、「太陽の塔」といえば岡本太郎さんです。岡本太郎さんは、かのパブロ・ピカソの絵をみて、抽象画の道を志したそうです。
…1932年、岡本太郎さんが21歳の時にラ・ポエッシー街のポール・ローザンベール画廊でパブロ・ピカソさんの「水差しと果物鉢」という巨大画を見た時に、「これだ!」と、魂が震撼し、涙が溢れ出たといいます。…

 

ーーリラックス人物名鑑「岡本太郎 21歳 ピカソの絵に衝撃を受ける」より引用

 

 

 

小中学校の教科書に載っていた、ピカソの絵「ゲルニカ」も、その大きな実物 (349㎝×777㎝の大きさ) を眼の前で見ていたら、太陽の塔のような感動を受けたかもしれません。教科書の、たかだか縦横数センチのちっぽけな画像では、当時友人が「ピカソって落書じゃないの」と言っていたのも、よく分かる話です。
太陽の塔は、あの、大阪万博という時間・空間があったからこそ奇跡的に表現出来た偉大な芸術作品だったと、今更ながら思いました。
子ども心を動かした「太陽の塔」に、そして連れて行ってもらった父親に、今更ながら感謝です。

 

 

 

 

 

 

存命中は、ビートたけしさんに真似されたりタモリさんのTV番組に時々出演されていてイジられていました。多分お二人とも好きだったんでしょう。私から見ると、あの二人と岡本太郎さんは「似た者同士」の無邪気なオーラを感じます。特にたけしさんなど、顔までよく似ています。