【2018年8月5日】村上春樹さんのこと 〜 聴きたかった「村上RADIO〜RUN &SONGS〜」

 

 

本日村上春樹さんがDJとして、ラジオにDJとして出演されました。私は残念ながらラジオを持ってない為聞けませんでしたが、Yahoo!ニュースに記事が幾つか上がっていたので、そちらは楽しく読ませて頂きました。

 

 

普段は小説を読まない私ですが、村上さんの小説は結構読んでいます。実は私は、大怪我をして一ヶ月以上入院及び療養生活を送ったことが、社会人になって二度あります。村上さんの長編小説を読んだのは、その時です。

 

 

最初の入院の際は、当時ベスト・セラーだった「ノルウェーの森」、それから「ダンス・ダンス・ダンス」、遡って「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「羊をめぐる冒険」。

二度目の時は、これまた当時のベスト・セラーだった「海辺のカフカ」、遡って「ねじまき鳥クロニクル」。この時は、入院したなりから、せっかく?入院したので、この二冊(と言うか、上・下巻と三部作なので、実際は分厚いのが5冊)は読もう、と決めていました。転んでもタダでは起きない、と言ったところでしょうか (笑)。(実際、転んで複雑骨折しています。。)

 

 

 

 

よく言われる事ですが、村上さんの長編小説には、あるパターンがあります。ある意味、水戸黄門やウルトラマンのようでもあります。そこが、熱狂的に読まれるところでもあり、批判に晒されるところでもあるのですが。

二度目の入院の際、「海辺のカフカ」を読んだ後、同じく当時のベスト・セラーだった「ハリー・ポッター」(どの話か忘れました)も読みました。こちらも同じく「水戸黄門」的なシリーズ物です。
そしてこの「ハリー・ポッター」と比べると、村上さんの長編小説の特徴が浮き出てきます。

 

 

両方とも、同じく「あり得ない話」、要はファンタジーなのですが、ハリー・ポッターは、誰がどう読んでも、とんでもない別解釈は出来ないかと思います。よく出来たディズニー映画のようです。

ところが「海辺のカフカ」(に限らず、村上作品)は、読む人によって、いろんな結末がその人その人に現れます。しかも、基本「ハリー・ポッター」と同じくファンタジーなので、全然難解ではありません。普段小説など読まない私のような人や、読書に馴染みはじめたばかりの中学生などにも、スラスラと読み進める事が出来ます。文章の上手さもその大きな要因でありますが。

 

 

昔から、秀れた文学というのは、「作者は自分に向けて書いている」と、読んだ人に感じさせる文章だ」と言われますが、村上さんの長編小説の読後感は、まさにそんな感じです。

読んだ人それぞれが、それぞれの「海辺のカフカ」を、「ねじまき鳥クロニクル」を、極めて個人的な思いで味わったのではないでしょうか。私は「海辺のカフカ」を、自分の14歳の頃の物語だと感じて読んでいました。エンディングもそのように捉えました。

 

 

こんなに面白い村上作品ですが、実は長編小説は入院生活時以外、読んだ事がありません。

村上さんに限らず、小説は、私の日々の生活リズムからすると、かったるく感じます。

以前このブログに、「小説は老後にゆっくりと読みたい」と書いたのも、そんなところからでもあります。

もし老後前に再度入院する機会があったら、「1Q84」と「騎士団長殺し」は、是非読んでみようかと思います。

 

 

 

冒頭のラジオのDJの話に戻りますが、記事中で印象に残ったところ。一番最後の言葉らしいです。

 

 

村上:最後に僕の好きな言葉をひとつ引用させてください。スライ&ザ・ファミリー・ストーンのスライ・ストーンがこんなことを言いました。「僕はみんなのために音楽をつくるんだ。誰にでも、馬鹿にでもわかる音楽をつくりたい。そうすれば、誰ももう馬鹿ではなくなるから」。いい言葉ですよね。僕はすごく好きなんです。

それでは、またそのうちにお目にかかれるといいですね。

 

 

このスライ・ストーンの言葉、馬鹿な私でも夢中になって読むことが出来る村上春樹さんの小説を、的確に表しているようです。