【2018年8月7日】学校なんか行かなくてもいいんだよ (^ ^)

 

 

先日のブログの、その友人との話。

学校へ行けない子どもが全国的に増えているというという話は、数年前から聞いていていましたが、今はもう、ホントに多いみたいです。リアルな数字を聞いて驚きました。こんな、北陸の片隅の保守的な町でさえ、です。全国規模ではどのぐらいの子どもたちが悩んでいるのか、想像もつきません。

と話をしていた矢先に、今朝のこの記事が目に入ってきました。

 

 

自分の小中学の頃を思い出すと、まず「学校に行かない」という選択肢は、頭の中に1%もありませんでした。他のクラスメイトもそうだったと思います。だから、クラスメイトの誰も不登校などしませんでした。田舎だったこともありますが、ニュースにもなってなかった事を思えば、きっと都会や全国でもそうだったのでしょう。

 

 

だけど「学校が楽しかったか?」と問われると、私を含めて、?な人が多かったのではないかと思います。

まず、小学生高学年〜中学生位の、いわゆる個々人の自我が確立されつつある、一生のうちでも特に大事な時に、全員同じ行動を強制させる今の教育は、明らかにマイナス面の方が大きいのではと感じます。生徒一人一人の個性を尊重して伸ばすのが目的ではなくて、何も考えずに先生に言われた事に対してハイ!ハイ!と行動する、そんな人間に教育するのが目的ではないかと勘ぐります。

そんな学校教育の悪い部分が、巡り巡って、◯◯大学のアメフト部とか、某ボ◯◯ング協会の問題とかにつながっていると感じます。

私を含めて、生意気な子どもは当時からそう感じていた筈です。これは確信持って言えます。

 

 

今どきの子どもは、きっと私の子どもの頃よりも、DNAが進化していて、そんな教育や学校というムラ社会の人間関係に、本能レベルで拒否反応を起こしているのでしょう。こんなのは、人間に対する教育ではない、自分をイジメる奴など顔も見たくない、と。

例えば二学期のはじめに、先生が教室の扉を「おはよう!」と勢いよく開けたら、生徒が全員休んでいてビックリ、という光景が、そのうちどこかの中学校であるかもしれません。

 

 

私の最初のアルバムに収録した「カノン」とう曲は、ささやかながらも、引きこもりピープルへの応援歌です。

どうしても学校や仕事に行けない人は、引きこもって自分としっかりと対話して、小賢しい社会性など必要ない豊かな自我を築いて、別の道で人生を謳歌して欲しいなあと、切に願います。