私の歌を聴いて頂いている知人と自曲についてラインでやり取りをしていて、最後?に「歌詞や曲について 話して下さるのっていいな!と改めて思います」というお礼を言われました。
この事について思うところがあり、掘り下げてみました。
昔読んでいた頃の音楽雑誌のインタビュー記事で、時々アーティストの自曲解説が載っていました。
私は、好きなアーティストのそれを読むのが楽しみでした。面白いのは、なるほどと感じるのもあれば、意外な発言や突き離したようなのもあり、 作者と作品の距離感や熱量は、皆さん一様ではないという事です。
作者と作品の関係は、母親と子どもの関係に似ていると感じます。
子どもは、胎内にいる時は文字通り身体の一部ですが、産道を通ってこの世に産まれ出た瞬間から、一人の他人となります。作品が形になる過程も、これと全く同じです。
子どもは成長するにつれ、どんどん他者性を帯びていきます。自曲も、時間をおいてしばらくぶりに聴くと、まるで他人の曲のように聴こえます。
つまり、自分の曲を語ることは、自分の中の他人を語るようなもので、そんなところが面白い所以なのではないかと思います。
そのラインのやり取りで「…面白いマジックはネタがばれても面白いように、曲については、語りすぎてイメージが限定されるという事はないんじゃないかと。」「それで面白くなくなるようなのは、まあ所詮そんなレベルかなあと思います。」と返しました。
もしかして数年後、同じ曲の事を語ったら、全く別の言葉が出てくるかもしれません。だからこそ、今思うところを語るのが大事だし、読んで面白いんじゃないかなと。
ところで、アーティスト本人がライナーノーツを書いているというのも、実は結構あります。自分で歌った曲について、自分で書いている訳です。
私が好きなのは、小沢健二さんの1st.アルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」(‘93年) です。
このアルバムのライナーノーツは、自作解説ってどうなん?と自分で自分にツッコミを入れながらも、その文章も作品の延長というか一部になっていて、さすがは文章も上手いオザケンだなあと、今更ながら思います。
画像載せようと、そのライナーノーツ及びジャケット探したけど、見つかりませんでした。。