数日前に書いたクラフトワークについての続き。
最新のテクノロジーを手にすると、人は先ずそのスペックを確かめたくなります。どんどん進化していくスマートフォンの最新型を手にして新機能を試すようなものです。
クラフトワークの最新テクノロジーに対する姿勢はそうではなかった、と書いたのですが、ふと日本人のテクノ/エレクトロニカのアーティストにもそんな人がいたのを思い出しました。先日久しぶりにその音を聴き、再認識しました。
それは、レイハラカミさんです。残念ながら、既に’11年に弱冠40歳で死去されています。
彼の音楽は、ほぼローランドのSC-88Pro (‘96年製の音源モジュール) しか用いていないにも関わらず、というかだからこそ、唯一無比のテクノ/エレクトロニカを奏でています。
その音楽は今聴いても、クラフトワーク同様に、新しくも古くも聴こえません。つまり普遍性を獲得しています。ヘッドフォンでその一聴して彼だと分かるコロコロした音像に触れていると、最上級に柔らかい綿棒で耳掃除をされているような、何とも言えない至福感・多幸感に包まれます。
エレクトロニカをよく聴いていた当時は、単に変わった音響だなあ、ぐらいにしか思っていなかったのですが、10数年経った今聴くと、当時のグリッチ・エレクトロニカのアーティストと、そもそも立っている地点・見えている景色、が違うという気がしました。
レイハラカミさんはおそらく、時代性など全然気にせずに作っていたのではないのでしょうか。
基本、クラフトワーク同様にインストで聴かせるのですが、くるりのリミックスや、矢野顕子さんとのユニット「Yanomami」で、歌モノのトラックを作ったりもしています。
どちらもいいんですが、よく聴いていたのはインストの方です。今これを書きながら聴いているのは、アルバム「lust」(‘05年)。
1曲だけ歌モノ、細野晴臣さんのカバー「終わりの季節」を演っています。
柿の種のピーナッツの割合ではありませんが、レイハラカミさんを続けて聴いていると10曲に1曲ほど人の声が聴きたくなるので、このアルバムはちょうどいい感じです。