【2021年5月12日】THA BLUE HERB を聴いています 〜 「日本語ラップ」の可能性を大きく広げたその音楽に、今更ながらリスペクト

数日前にDAOKOのアルバム「anima」を借りました。これがすごく耳に馴染んで、毎日聴いています。DAOKOさんは日本人の女性ラッパー。一般的には米津玄師さんとのコラボ曲「打上花火」で知られています。私が知ったのもこの曲でです。

ラッパーといってもいかにもヒップホップの人という感じでは全然なくて、ウィスパー・ヴォイスで呟くようにラップするそのスタイルは、かのビリー・アイリッシュさんを連想させるそれです。ラップだけでなく、歌も歌います。

 

 

DAOKOさんについてはまた稿をあらためて書くとして、今回は、DAOKOさん同様?ヒップホップ・シーンでは孤高の存在である、THA BLUE HERB について。

何故今THA BLUE HERBを聴いているかといえば、前述のDAOKO「anima」を聴いていたら、ふいに思い出して聴きたくなったからです。音楽性は、まるっきり・全然違うのですが、いわゆる「ヒップホップ村」に属してない感、そして孤高感が、同じ匂いを感じたのでしょうか。

 

 

 

聴いているのは、セカンド・アルバム「Sell Our Soul」(‘02年)。このアルバムは、当時のいろんな音楽雑誌で絶賛されていて気になっていたら、当時よく行っていたレコード屋の試聴コーナーで聴けて、聴くとそのサウンドは私の想像の遥か斜め上から鳴ってて即買いしています。

 

 

私がハマったのは、多分言及されていませんでしたが、当時よく聴いていたR&Bアーティスト、ディアンジェロの傑作アルバム「VooDoo」(‘00年) の、日本人からの返答のように感じたからです。明らかにネオソウルを通過後のトラックメイクです。

 

 

「VooDoo」で顕著な、一聴するとハズレたようなビートのズレ具合及び、そのビートとこれまたぎこちなく進むリリック (ラップ) との絡み具合が実に心地良く聴こえるリズムや、大昔の国籍不明の民族音楽っぽい音響 (ちなみに「VooDoo」は、大昔のアフリカを連想させるフレーズが随所にアリ) が、このアルバムの中毒性をより一層高めています。

 

 

どうやったらこういう音楽を発想且つ具現化出来るんだろう?と当時思ったものです。このアルバムにハマった後、それまでよく聴いていた日本のヒップホップが聴けなくなりました。同時期のレディオヘッド「KID A」後のギター・ロックが聴けなくなったように。耳がアップデートしたかのように。

何度も書いていますが、ゼロ年前後は、ホントにポピュラー音楽の変革の季節だったように感じます。

 

 

 

なんか褒め過ぎのようですが、「Sell Our Soul」はそれ程凄いアルバムだった訳です。

最後に。トラックばかりではなくリリックも凄いです (とってつけた感がしますが 笑)。

 

 

好きなリリックを一部抜粋。 「STILL STANDING IN THE BOG」より。

 

 

 

ある日 リリックが
高く売れた時に気づいたことは
買い取られたとたん
込めた気持ちがどこか
薄まっていく感覚が俺の中に残った
音楽は商品でしかないというのは
もっともだ
売れればいいという説も
ある意味本当だ
だがモノ造りは
どんなにつらく苦しかろうが
俺らにとっては
神聖な信仰のようなものだ
パイプと2人
狭く暗い仕事場に戻った
復活の炎がペン先に宿った
はっきり言って
同業者が造った曲はつまらん