数週間前、g君とスタジオ入りした際に録った曲で、それから煮詰まっていて放っておいた曲「一枚の絵」、いきなり歌詞と歌い方が閃いて、歌入れを行いました。以下、その経緯を。
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数日前に知人と喋っていた際、たまたま小沢健二さんの歌い方の話になりました。
知人は「一生懸命歌ってる感がいい」と言っていましたが、とっさに私は「あれは一生懸命というより、意図的に、一音一音、区切って歌ってるんじゃないかな〜。オザケンの曲って基本ファンクで。ファンク・ビートに日本語を乗っけるのって、流れるように歌うよりも、ああいうブツブツとした歌い方の方が、いい感じに聴こえるからね〜」と返していました。
深く考えてそのように返した訳ではありませんが、あとから思ったのは、自曲でも、ファンク・ビートを基調にした「続いていく世界」「月を仰ぐ人々」を比べると、流れるように歌っている「月を仰ぐ人々」の方がJ–POPっぽく聴こえるなあと。ビート感や切れ味は「続いていく世界」の方があるなあと。(だから、こっちがいい曲という意味ではありません)
それで、上手く歌えなくてストップしていた、スローなファンク曲「一枚の絵」の、歌メロディの途中途中に、オザケンのR&Bアルバム「エクレクティック」(‘03年) のように、区切りを付けて歌ってみました。
このアルバムの歌唱は、メロディの流れを寸断するように歌う、ウィスパー・ヴォイスのメイン・ボーカルに、コーラスのアメリカ人の女性の歌う変なアクセントの、メイン・ボーカルとは逆に、流れるような日本語を絡ませており、不思議な感触がクセになります。
これって実は、結構画期的なボーカル・スタイルを提示してるんじゃなんじゃないか、とリリースから数年経って思ったものです。
歌詞の文脈と関係ないところでいきなり音節を区切って歌う、をメジャー・シーンで一般的に認知させたのは、私の知る限り、多分宇多田ヒカルさんが最初ではないかと。(デビュー曲「オートマティック」)
「エクレクティック」は、そんな方法論を踏襲して、且つ発展させているスタイルなのではないかと。
そして最新アルバム「So kakkoii 宇宙」でも、そのブツ切りボーカルは更に顕著で、「フクロウの声が聞こえる」「彗星」など、他の人が歌ったらちゃんとした曲に聴こえないんじゃないか、というレベルにすら達しています。今更ながら、凄いボーカルだなあと思います。
それで自曲の話に戻りますが。「エクレクティック」を参考にして歌ってみたところ、これがしっくりとサウンドに乗った感がします。でも、区切って・区切って歌うのって結構難しくて。
もう少し練習して煮詰めて、本番に備えたいなと。
「エクレクティック」。声だけではなく、ベースの重低音も実にいい感じです。
先程「R&Bアルバム」と書きましたが、R&Bとは似て非なる音楽な気がします。