以前書いた事がありますが、曲を作っている時に私はいつも「これが最後になるかもしれないから、悔いのないようにがんばろう」と思ってモチベーションをアップさせています。
これは半分真実です。そう思うぐらいに、メロディは自分が意識しないところで鳴っている感じがします。意識 (=コントロール) して作る曲は、作り手側としてもリスナーとして聴いても、はっきり面白くありません。
この記事のポイントは、メロディを生活に絡めて語っているところではないかと感じました。
僕はあまり“メロディが天から降ってくる”という説を信じていないんです。それより、日常生活の中にいろんなヒントがあって、それに気づいてそこから音楽を生み出せるかどうかが、音楽家としての才能や技量なんじゃないかと感じています。
音楽は、そういう普通の生活の中にあるものの発想を転換することで生まれるんです。お風呂に入っているときに並んだ水滴の高さの違いが音符に見えてくるとか、洗濯物を干していて竿に対する洗濯バサミの配置がいいリズムだなと感じるとか…。
なるほどなあと。メロディが生活に根付いているという説、激しく同意です。
今の私が、若い頃のようにペシミスティックな人生観を持ち荒んだ生活を送っていたら (笑)、間違いなく今作っているような楽曲は生まれていない筈です。
私は今月いっぱいで長年勤めていた仕事を退職、新しい生活に入る訳ですが、そうなると多分、ここ数年作った楽曲と趣がちょっと変わったメロディや歌詞になるかもしれません。自分の事ながら楽しみです。(メロディは、退職が決まった数ヶ月前から、結構変化している気がしています)
環境が変わってもちゃんと生活して、その中から生まれるメロディや言葉を上手く掬えたらいいなあと。
タイトルのアンサー的に言うと、メロディは生活の中からやってくる、です。