【2017年6月21日】前回の続き〜洋楽とJ-POPのギャップ

そもそも日本人なのに、どうして自分は洋楽ばかり聴いていたのだろうと、前回アップのブログを書きながら思いました。そして考えてみました。

 

 
その頃ロックを聴いていた人は、大体が単純に「邦楽より洋楽の方がカッコいい」と感じて、洋楽に走っていたように思います。私もそうです。
当時もなぜかなと考えた事がありました。音として耳に入る、英語と日本語の違いかなあと思ったりしましたが、日本人が英詞で歌う歌を聴いても、やっぱり全然違うので、そういう問題でもなさそうでした。

 

そのうち仕事の息抜きにとギターを弾き始め、洋・邦問わず、好きな曲・知っている曲のコードのコピーをし始めました。
コードをなぞってみて感じたのは、意外にも、洋楽の方がコピーが簡単に出来るという事でした。J-POPは、コードはよく動くし、しかも複雑なのを使ったり、転調・移調も多かったりで、ひと苦労でした。

 

それでも実際の音を聴くと、単純な構造の洋楽の方が断然カッコいい。
シンプルな構造の、そのコード上や隙間を自由自在に動くボーカルやビート、メロディとリズムの一体感や開放感などは、邦楽とは一線を画しており、どう聴いても洋楽の方が、カッコよく聴こえました。この辺、理屈ではなく完全に私の主観なので、そんな事はないと言われればそれまでですが。

 

ちなみに、以前通っていた音楽教室の先生も、同じ理由で洋楽ばかり聴いていたそうです。私よりひと世代上の方です。そして私と年齢の近いアーティストにも、少年の頃に洋楽に憧れて音楽を演り始めた方々は数多くいらっしゃいます。 (メジャーな方々だと、奥田民生氏、吉井和哉氏、甲本ヒロト氏 …) どうやら私だけではなかったようです。

 

そんなギャップをあまり感じなくなったのが、先回のブログで触れた渋谷系です。
渋谷系以降、邦楽はその表現の質が、格段に上がったように感じます。音の質もそうですが、同様に、歌われる内容も語彙も広がり、且つ深くなったと感じます。洋楽の後追いの表現ではなく、ようやく邦楽独自の進化が、渋谷系のアーティストから始まったように感じました。
私自身、J-POPと洋楽と比べる事を、段々としなくなってきました。

 

 
そして今の時代です。若いリスナーは、私のように洋楽の方がカッコよく聴こえるとかJ-POPはどうとか、全然気にしていないという気がします。最近のJ-POPで自分の琴線に触れる曲を聴くと、そう感じます。(だから、洋楽が売れないんですね)
それは、演る側・聴く側双方の進化であると言えるのではないでしょうか。

 

 

 
画像は上から、RADWIMPS「おしゃかしゃま」(2009年)、世界の終わり (SEKAI NO OWARI)「幻の命」(2010年)、ゲスの極み乙女「キラーボール」(2013年) のPVから。
いずれも大ブレイク前の曲ですが、ブレイク後も、その世界観は驚く程ブレていませんね。
音のクォリティ云々よりも、こういうアーティストが広く深く受け入れられることに、新しい時代を感じます。