【2018年7月22日】恋愛の歌はどうしてファルセットで歌われるのか

「八月に降る雨」、歌入れを終え、マスタリングも終えて、つまりは完成です。「ひみつの言葉」同様、数日で形になりました。

不思議なもので、時間をかけた曲よりもすぐに出来た曲の方が、自分的にはよい曲に聴こえます。実際のところ、曲のクォリティ自体はさほど変わらないけど、時間をかけた曲は作っている時間が長い分、聴き込んでいるので、自分で聴きかえす分には新鮮味が薄れてしまう為かと思われます。

すぐに出来た曲は、変な言い方ですが、自分でもよく分からないうちに出来てしまう為、出来てしまってからじっくりと聴くことになります。そういう意味で、しばらくはこの曲を楽しみます。

 

 

私は恋愛の歌を歌うと、どうしても小さな声やファルセットになってしまいます。

つまりは、私の歌(及びタイトル)ではありませんが、恋愛の言葉は「(他人には)ひみつにしたい言葉」だからです。自然に、伝えたい人にしか伝わらないように、耳元で囁くような小声になってしまいます。

恋愛の歌が多いR&Bのアーティストたちも、昔からファルセットで囁くように歌う方が圧倒的に多いです。

 

 

恋愛は、現実では他人に知られたくない、ある意味とても恥ずかしい行為です。(恋に落ちない人はどこにもいないのですが…)

時には、想っている対象の相手にさえ、自分の想いを知られたくない、ある意味後ろめたい行為です。なので、歌うとどうしてもそのような発声になるのでしょう。

昔から「朗々と歌い上げるラブ・ソング」が、どうにも聴き心地が悪く、苦手な訳が、今になってよく分かりました。

 

 

歌は創作でありフィクションなので、どのように歌っても構わないし、どのように聴いても構わないので、私とは逆にドラマティックに歌い上げるラブ・ソングが好きな方も多くいらっしゃると思います。そしてそんな歌が受けるのも、自分では聴かないけれども、よく分かります。まあ人の好みの問題かなと。

 

 

 

 

美声で、シャウトも歌い上げる歌も自由自在だったデヴィッド・ボウイさんも、数少ないヘヴィな恋愛の歌は決まってカスカスの声を絞り出すように歌っていました。以前取り上げた「ワイルド・イズ・ザ・ウィンド」や、「レディ・グリニング・ソウル」、久しぶりに聴きたくなりました。

 

 

 

 

その「ワイルド・イズ・ザ・ウィンド」がラスト曲のアルバム「ステイション・トゥ・ステイション」(‘76年)。マイ・フェイヴァリットの一枚です。