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【2018年8月25日】表現は、先ずは自己紹介です

私のyahoo!ニュースの「あなたへのおすすめ」にはよく音楽の記事が上がってきます。これは私がよく音楽の記事にアクセスするからです。

 

 

それぞれの個人のスマホやタブレットの「あなたへのおすすめ」は、一種の個人情報ですね。どんな記事が上がっているかを見るだけで、その人がどんな人なのかぼんやりとながらも掴めます。学歴や資格とかが書いてある履歴書や、事前に喋る練習をしてくる採用面接よりも、よっぽどその人となりが分かります。

 

 

ちなみに、現在の私のタブレットの「あなたへのおすすめ」、トップ5。

 

 

 

 

見たら、いつもブログに書いているような内容に関連するような記事ばかりで、実に分かりやすかったので上げてみました。実は今回のブログ、記事中の大貫妙子さんをネタに展開しようと考えていましたが、書きはじめたらこっちの方が面白くなってきたので、大貫さんネタはまたいつかの機会にという事で。

 

 

そして私にとってブログを日々更新したり、CDやHP上で自曲を公開したりというのは、自分の「おすすめトップ5」を語ることの延長線上にあります。オープンにするという事は、肩の荷が降りるというか、実に楽になるものです。

 

 

私の場合、日常で喋れない事 (喋ると恥ずかしい内容という意味ではなく、変なことばかり考えているので、単に話相手がいない) はブログで、ブログでも書けない事 (これは大袈裟に言うと自分自身の存在の核心を突いた事) は、抽象的な言葉に変換して、歌にしています。

で、そうすることによって、まわりの人に「ああ、あいつはこういうヤツだから (笑)」(この (笑) が重要!) と、認めて (諦めて) もらえるようになりました。

 

 

私は子どもの頃から人見知りが激しくて、人と会うだけで気遣いで消耗していたのですが、人前に自分の歌を公開する事で、それは大きく減りました。

「自分はこういう人だ」と表明する事は、実に大事な事だなあと、つくづく思います。合わない人には今までみたく無理やり合わせなくても、向こうから敬遠するようになり、逆に合う人とは更に親密になりました。実に分かりやすいです (笑)。

 

 

大昔の「ロッキング・オン」誌に、松村雄策さんが「マーク・ボラン (T−REX) の歌は自己紹介である」といった趣旨の文章を書いていて、今でも憶えている程、当時読んで腑に落ちました。そういえば先日ブログの宮﨑駿さんの一連の作品も、一言で言ってしまうと壮大な自己紹介のようなものですね。

 

 

私も今居る場所でほんのちょっとでも生き易くしていく為に、表現の精度を少しでもアップしていきたいと思います。(これは、=いい曲を書く、という意味とちょっと違うのですが)

 

【2018年8月24日】「トトロ」再放送に思う

 

 

 

先週末に放送された「となりのトトロ」、16回目の放送でしたが、相変わらずの高視聴率を記録しました。トトロは私の若い頃に劇場公開された映画です。

おそらくですが、若い頃に観て感銘を受けた方々が大人になっても観たり、家庭を持った方々がお子さんと一緒に観たり、そんなふうにして観継がれているんじゃないでしょうか。

 

 

昔から、時の流れというのは、ある意味一番正確にその表現を評価します。これはどんな表現の世界でも共通して言えることだと感じます。

音楽でも、ビートルズのように、瞬間最大風速の大きさがそのまま維持されているのもあれば、歴史に埋もれてしまった大ヒット曲もあります。そしてその逆も。ありきたりな言い方になりますが、宮﨑監督のアニメは、音楽の世界だとビートルズ級ではないかと。

 

 

 

ところで「宮﨑監督はアニメはすごくおもしろいけど、発言がちょっと…」と仰る方が、昔から一定数いらっしゃいます。エコロジストで左翼で、などなど。

でもおそらく本人は、〜主義とか、全然考えてないんじゃないかなと思います。今の時代で、「超」が付くほどの優れた表現者は、昔から皆んな、主義主張以前の問題として、人として当たり前に、パートナーや子どもを愛し、自然を愛し、自分の生まれ育った国家を憂いでいる気がします。ジョン・レノンさん、レディオヘッドのトム・ヨークさん、坂本龍一さん…。

面白いのは、これらの方々の表現は、出始めは異端扱いだったのが、今では王道として多くの人々に受け入れられているところです。

 

 

そして言葉以上に、作品にその思想が顕著にあらわれています。宮﨑作品で私が一番多く観ている (と言っても数回ですが) 「風の谷のナウシカ」など、今観ると「アフター・フクシマ」の世界です。まるで預言書のようです。「トトロ」もそうですが、これらの作品には根っことなる思想がブレずにごく当たり前に反映されているからこその面白さではないかと感じます。

少なくとも私の生きている間、宮﨑アニメは、人々に繰り返し観続けられるのでは、そう思います。