唐突ですが。レディオヘッドのゼロ年リリースの傑作アルバム「KID A」収録曲に「ナショナル・アンセム」という曲が収録されています。ノイジーなベースラインがサウンドを引っ張り、そこにいろんな楽器やボーカルが絡んでいく、クールなファンク・チューンです。マイ・フェイバリットの1曲です。
この曲の歌詞がとってもユニークです。
ナショナル・アンセム (国歌)
みんな
ここにいるみんな
みんながまとまって
もちこたえている
もちこたえている
みんな
みんながまとまって
みんな不安を抱いて
もちこたえている
もちこたえている
もちこたえている
もちこたえている
もちこたえている
ーー WEBサイト「深読み、Radiohead通信」より引用
タイトルを直訳すると「国歌」です。共同体の空虚さを、余りにも簡潔な言葉でズバリ言い表していて、見事すぎて可笑しくなるレベルの歌詞です。ここで歌われる「国家」は、もちろん比喩です。これは言い換えると「学校」でも「家庭」でも同じです。いずれにしても現実の世界というのは、まあこんなものかなと。「心ここに在らず」は、今の時代だと最早当たり前ではないかと。
そしてこの歌「ナショナル・アンセム」、上記の訳詞サイトでは、このように解釈しています。
「まとまっている(Everyone is so near)」という歌詞がとても印象的ですよね。この言葉が表しているのは決して「心がひとつにまとまっている」という意味ではありません。「人々がただ同じ場所にいる」という事実を表しているわけです。人々は何のつながりもなく、ただ同じ場所にいるだけ。王への忠誠も、貫くべき正義もない。それがRadioheadが目にした21世紀の「国」の姿だったのです。
それでは、同じ場所 (つまり現実社会) に生きる我々一人一人は、何処にそれぞれの居場所を見つけているのでしょうか。
その場所は現実世界にはなく、それぞれの人の心の中にある、いわゆる「心の闇」「非日常と呼ばれる領域ではないかと思います。
「心の闇」(←安易な表現ですが 笑) を、数十年に渡って寓話的にポップに表現しているのが、日本の小説家、村上春樹さんです。
村上春樹さんの代表的な長編小説の「闇」の比喩。(以下は、私の読んだ限りです)
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」→ 地下世界 穴
「ねじまき鳥クロニクル」→ 井戸
「海辺のカフカ」→ 森の奥 石
いずれも私にはとても面白く読めた比喩でした。その場所は、決してヒトにとってマイナスな場所ではありません。むしろ、なくてはならない場所です。(読んだことのない人にはナンノコッチャだと思いますが…)
それで、ようやく本題です。
私が「ある日」で表現した「黒い穴」。たしかにはじめは「死」をイメージして書いたんですが、1週間程経った今では、死を含んだ「闇」全体を表したいなあと思うようになってきました。
そうなると、2番の歌詞「♫通勤電車を 待ちながら〜」だと、あからさま過ぎてちょっと…。トム・ヨークさんや村上春樹さんのような煌めく才能のない私には、中々難しいなあと…。
ところで、レディオヘッドの新作、聴きたいなあ。
ちょっとだけ推敲しました。