【2017年10月25日】宇宙は現実的フロンティアではなく、ヒトの頭の中にある思想 〜 今だからこそ「スペース・オディティ」を聴こう

ホーキング氏の博士論文を公開、アクセス殺到で接続困難に

 

 

10月24日 CNN.co.jpニュースより

 

 

 

以前何度か書いたことがありますが、私は宇宙が好きで、子どもの頃からSF小説・マンガや学術書などに親しんできました。このニュースのホーキンス博士の論文も、日本語訳が出たらぜひ読んでみたいと思いました。
「火の鳥」のブログ記事でもさらりと触れましたが、自分の中では重要な事なので、言葉を変えてもう一度ちゃんと書いてみたいと思います。

 

 

私が宇宙好きなのは、物理学的・科学的な興味からではありません。
宇宙の本を読んだり宇宙について考えると、頭がクラクラとなって、人間のちっぽけさを改めて思い知らされ、子どもの頃だと死への恐怖心や、大人になってからは日常的な些細な悩みなどが、半減出来たからです。「大きな宇宙に比べれば、自分なんて…」というやつです。
どちらかと言えば、構造主義や実存主義などの哲学書や、仏教やキリスト教などの経典を読むような感じで、読んでいました。

 

なので、生命体が存在してそうな星が見つかりコンタクトが取れるかもとか、◯◯年先に宇宙旅行が実現するかもしれないとかには、全く、これっぽっちも興味がありません。
私にとって宇宙は、始まりも終わりもなく、時間も空間も無限大で、自分の存在が無に等しいものである事・ひとりぼっちである事、を自覚させられる絶対的他者です。仏教でいうところの無常観を、嫌という程感じさせてくれます。

 

 

最近のマイ・ブームのアーティスト、デヴィッド・ボウイ (このところブログにも頻出) の最初のヒット曲「スペース・オディティ」(’69年) は、そんな絶対的他者としての宇宙に相対して正気を失った宇宙飛行士の歌です。

 

歌われている内容は、決して現実離れした雄大で広大な宇宙についてではなく、それに触れたヒトについてです。宇宙空間に投げ出された宇宙飛行士の絶対的な孤独感、を表現しています。というか、「絶対的孤独感」を表現するのに、宇宙を小道具として持ち出してきた感じもします。
ちょっとした物語風の歌詞で、ロック・ファンの間では余りにも有名なので訳詞も検索すればたくさん当たります。興味を持たれたらいろんなサイトをご覧下さい。
先に書いた、私が子どもの頃から宇宙に感じていた感覚が、この歌を聴くといつも鮮やかに蘇ってきます。そう言えば、ボウイは仏教徒だったそうです。西欧人ですが、仏教の無常観を常に意識していたのかもしれません。
ブログを書き始めてから、歌詞だと音と違って言葉なのでブログに絡めやすいのではと思い、好きな歌やアーティストの歌詞をあらためて検証し始めたのですが、デヴィッド・ボウイの歌詞は、ほんとに凄い!と数十年の時を経て再認識です。

 

 

 

 

この画像は、カナダの宇宙飛行士クリス・ハドフィールドが、無重力の 国際宇宙ステーション( ISS)内で、「スペース・オディティ」を唄ったPVから。音楽ファンの間では大変に話題になりました。