【2018年2月20日】前回ブログを書いた後に 〜 ブログは内観と通じます

内観

 

① 〘仏〙 精神を集中して自分の心を観ずることによって,自己の内部にある心理や自己の真実の姿を知ろうとする瞑想による修行法。観心(かんじん)。
② 自己の内面を見つめ,そこにあるものを探求すること。内省。
③ 〘心〙 〔introspection〕 自分自身の心の動き・状態を自分で観察すること。自己観察。内省。

 

ー Weblio辞書より

 

 
このブログは基本的に毎日更新しています。日々のリアル・タイムのことも当然取り上げていますが、同時に、過去にあったことや聴いた音楽なども、結構取り上げています。

 

 

前回、ドラゴンアッシュを取り上げた際、聴いていた当時のことが、次から次へと鮮明に脳裏に浮かび上がってきました。
過去、ブログを書いている時にも度々そんなことがありましたが、ドラゴンアッシュの場合、熱心に聴いていた時期から突然聴かなくなったので、余計に聴いていた頃のことが、そこだけ時間が浮いて蘇ってくる、そんな感じです。
そしてそれは、いい思い出だけでなく、思い出したくなかったことまでも。(仲良くしてた女の子と疎遠になったりとか 笑)

 

 

しばしのバッド・トリップ?の後に、これって、昔心理学の本で読んだ「内観」に似てるんじゃない?と、ふと思いました。内観については、興味ある方はぜひ掘り下げてみて下さい。ネット上にもタメになるサイトがたくさんあります。

 
「人間は忘れる動物である」と、昔から言われています。これはマイナスの意味だけではなくプラスの意味もあります。辛いことや悲しいこと、恥ずかしい大失敗などがあっても、忘れることが出来るので、何とか立ち直れることが出来るという訳です。いわばリセット機能のようなものです。

 

 

でも、都合の悪いことばかりをどんどん忘却していくと、自分自身をちゃんと掴めなくなります。「自分の本当の姿 (心の世界)」「現実世界での自分の立ち位置 (外の世界)」がよく分からなくなります。
実際に僕らは、同じような失敗を何度何度も繰り返します。同じようなことで、毎回くよくよと悩んでいます。何故なら、以前失敗したことや、悩んだこと、その原因を、毎回忘れてしまっているからです。
そして、やりたいけど出来ないことは、同じ調子でいつまで経っても出来ません。何故出来ないのか、出来ないこと自体が辛い体験なので、挑む際にはその出来ない原因を既に忘れてしまっているからです。タバコを止めたいけど止めれない、とか。その他いろいろ。

 

 
そういう意味で、ブログを始めて過去を振り返り出してから、それ以前よりも自分自身のことが、少しだけど分かってきたかもしれません。今まで50年生きてきて、自己反省など一度もしたことなかったので、ちょうどよい機会なのではないかなと。
実はこのブログ、ネタに行き詰ったらすぐに止めようと、書き始めた当初から思っていましたし、知人にもそう言っていました (止めた時の言い訳)。だけど最近は、もしネタがなくて行き詰っても修行だと思ってがんばりたいと、ちょっと思っています。

 

 

 

 

アンリ・ルソー「眠るジプシー女」。ルソーは心象風景を描いた画家。19世紀〜20世紀に活動していました。「内観」から、何故か連想しました。特に意味はありません。