【2018年3月15日】前回の続き 〜 AIが人にとってプラスに働く、とは?

前回、「〜だけども、こういうAIの使い方は、長い目で見ると、人類にとってマイナスに働くんじゃないかという気が、何となくします。根拠は全くありませんが。」と書いたのですが、その根拠について漠然とですが考えてみました。実は思い当たるフシがあったので。

 

 

 

何かで読んだかは忘れましたが、将棋の第一人者である羽生さんは、タイトル戦などで地方に行った際、全く知らない土地でも、最寄りの駅から、タクシーを使ったりスマホのナビを使わずに、散歩がてら歩いてホテルに行くそうです。
知っているのはホテルの住所のみで、建物とか看板とか番地とか見ながら探すそうです。なぜかと言う問いに「ナビに頼っていると、勘が鈍るような気がして」といった感じの答えを返されていたと記憶しています。勘が鈍る、は遠回しな言い方で、羽生さん的には、ズバリ言うとナビに頼っているようだと、将棋が弱くなるような気がしたのでしょう。(何しろうろ覚えで出処が不明なので、もし違っていたらごめんなさいです)

 

 

このエピソードは、まさに私が危惧していることを言い当てていると、先日書きながらすぐに思い出しました。
今の、人類が目指しているAI社会というのは、あくまでも「便利さ」(=お金になる) を目指しており、裏返して見ると、ヒトの勘を鈍らせる (危険の察知に疎くなる)・体力を落とす・日常的な複雑な作業を簡略化して出来なくする、…しいては大自然と共存していけなくする、…そしてAIがないと生きていけなくなる…。極端にいうとそんな方向に向かっています。

 

 

身近な話だと、私は数十年マニュアル車を運転してないので、おそらく運転出来なくなっていそうです。それから、こうやってキーボードを打っていると、勝手に漢字の変換をしてくれるので、漢字もかなり書けなくなっていそうです。なんか挙げるとキリなく出てきそうです。これは、人の生命力がプラスに進んでいると言えるのでしょうか?
この調子だと、早くて数十年後、小学生の頃に読んだ石森章太郎さんのマンガ「リュウの道」に登場する、徹底的に管理・保護されて何とか生き延びている、ひ弱な未来人のような、悲惨な未来社会を迎えそうです。

 

 

生活が便利になるよりも、人々の身体・知能の能力及び心の成長を促すように使われる → しいては、人々のシアワセ度のアップにつながる ーー 本来AIはそのように想定して、いろんな事業や娯楽に使われるべきなのではと思いました。

 

 

 

などなど考えていたところで、1月6日にアップした「人間社会とAIの関係について 〜 羽生さんのお話から」(←こちらをクリック) での羽生さんの発言、ようやく腑に落ちた気がします。

 

 

AIの持っているものが、人間の感性の方に近づいていくっていうことが、本来の技術の進む、あるべき姿ではないか

 

(この時に書いた、この言葉に対する私の解釈が、若干ずれていたと今思います。)

 
自分自身、利便性に流されて堕落 (?) していかないように、まずは身近なAI的な道具だと、インターネットや、単語を打ち込んだら漢字に変換して文章を作ってくれるタブレットや、自動演奏してくれるリズムマシンなどの楽器などは、ちゃんと自分の頭で考えてから活用するようにしたいです。(こんなことを書いていると、知人からまた「お前は考えすぎだ」と言われる)

 

 

 

 

 

 

 

音楽の世界では、多分初めてAI的世界観 (単純に、人間が楽器を弾かない。当時は画期的。) を取り入れて、創作的にも商業的にも大成功したのが、ドイツのバンド「クラフトワーク」。
「クラフトワークは神」発言をしている山口一郎さんリーダーのサカナクション。YouTube画像から。上がクラフトワーク、下がサカナクション。リスペクトしてるのがよく分かる映像です。