【2018年4月18日】前々回の続き 〜 スティングさんの苦悩はどこへ?

前々回のポリスのことで、もう一つ。ポリスが当時叩かれていた理由のひとつに、スティングさんの出自が中産階級だったこともあります。

 

 

イギリスでは昔から階級制度がしっかりと決まっていて、よく「労働者階級がお金持ちになるには、サッカー選手かロック・スターしかない」とよく言われていました。パンクやニュー・ウェイヴのミュージシャンも殆どが労働者階級だった中で、中産階級のスティングさんがスポットを浴びて妬まれない訳はありません。逆差別です。
演る側のモチベーションとしては、貧乏で虐げられている自分を解放したいという十分すぎるものがあるので、当然そんなミュージシャンは多いのですが、だからと言って「そうでないといけない」という理由はどこにもありません。

 

 

レゲエもロックンロール同様、貧しい人たち、虐げられた人たちの音楽として、ジャマイカ人に聴かれていました。パンク/ニュー・ウェイヴのミュージシャンがレゲエをリスペクトしたのも、当然の成り行きです。
そんな音楽であるレゲエを、中産階級の白人が演っていたんですから、中々の根性だったと今更ながら思います。

 

 

私の若い頃は、ロックは生き方と密接な関係にあるとされていました。いわゆるロックンロール・ライフです。実際にそんなロック・ファンがたくさんいました。
私がその頃から思っていたのは、無茶苦茶な生活をするぐらいで、あんたたちは満足するのか?ライブやディスコ (当時流行っていた 笑) に行って浮かれているけど、そんなくらいで何とかなるの?ということです。
不幸というのはブラウン管の中にしか存在しないような何不自由ない家庭に育って、大学生活だって親の仕送りで賄えている、そんな恵まれている人生を送っている俺だって、日々生きていくのが、ほんとにほんとに大変なんだよ、と。当時そう思っていました。

 

 

きっとスティングさんは、音楽メディアや心無いパンクスからバッシングされていた時、「お前らに俺の気持ちが分かってたまるか」と思ったんじゃないでしょうか。
アルコールやドラッグもナシ。そしてツアーはメンバーの3人とマネージャーなど最小人数で、余計なお金をかけない。ライブの後は、打ち上げもそこそこにホテルで反省会。そんなポリスの情報を聞くたびに、さすがだなあと一人で納得していました。

 

 

今、数十年ぶりにポリス時代のように伸び伸びとレゲエを歌って、スティングさんはどう思っているんでしょうか。ちょっと知りたくなりました。

 

 

 

 


ソロになってからの大ヒット曲「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」のPVから。この曲は’88年のアルバム「ナッシング・ライク・ザ・サン」に収録。
レゲエ・ビートで、孤独を歌っています。孤独、レゲエ…。当然ながら私の好きな一曲です。以下、サビのフレーズ。

 

 

僕は異邦人

 

法で認められている異邦人

 

僕はニューヨークに住んでるイギリス人

 

 

訳:ツボカワ