【2018年7月15日】前回の続き 〜 ニヒリズムの克服方法、個人的には3つあります

前回は割と客観的に書きましたが、実は私にも隙あらば頭をもたげてくるニヒリズムです。そして私なりの克服方法が3つあります。

3つとはっきり言えるところが、若い頃ニヒリズムに呑み込まれそうになって身動きが取れなくなった名残り?でしょうか (笑)。

 

 

ひとつ目は、毎日部屋の掃除を行い、毎日三度のご飯を美味しく頂くことを心掛けることです。
そんなこと、別に意識しなくても、普通に部屋はかたずけるし、食べたいものを食べてればいいじゃないかと思われる方も多いかと思いますが、これが当たり前でなくなることも、あるんですよ (笑)。ほんとに。

ご飯の味がしなかったり、忘れて食べてなかったり。気がついたら部屋がゴミだらけになってたり。

 

 

ふたつ目は、辛いことに出会ったら、そのことについてなるべく客観視して考えることです。
人間、辛い時が、一番ニヒリズムに陥りやすい時です。

まあ人それぞれなので何でもいいんですが、例えば、付き合っているパートナーと別れてしまったり、肉親や親しい友人やパートナーが逝ってしまったり、あるいは自分が不治の病で余命宣告されたとしましょう。

 

 

(余談)
私の経験上だと、人生、人間関係と死、以上に大変ことはありません。

それ以外にも大変なことはたくさんあると仰る方もいるかと思われます。お金とか、仕事とか、学校とか。

これは私個人の意見で、しかも私個人のブログなので、誤解を怖れず書くと、お金は、産まれた時はゼロですし(つまり、なくなってもスタートに戻るだけ)、少しでもあるだけ儲けものだと。仕事の悩みは、辞めれば解決するかと。余りに悩み過ぎると、辞めるという選択肢すら考えられなくなりますが、そうなる前に決断を。

 

 

話を戻します。
例えば恋愛は、多くの人が考える程の、自分の運命を左右するロマンティックな行為でも何でもなく、単にDNAが子孫を残す為の行動だ、と。

例えば家族は、たまたま「自分」が宿った単なる生活共同体だと。
例えば死は、生命体にとって、新陳代謝がもたらす、ごく普通の不可避な出来事だと。

例えば…。

 

 

「私だけ」に降りかかると思われる出来事に対して、個人的・感情的な視点から離れて考える事によって、受けた痛みが若干和らぐという気がしませんか?。それによって生じる虚無感が和らぐ気がしませんか?。自分も多くの他人のうちの一人だと思えてきませんか?。

以前このブログに書いた、私が宇宙について考えるのも、同じ理屈です。
「ニヒリズム、悪くないんじゃない?」と、ニヒリズムを客観的にみるのもいいかもしれません。

 

 

そしてみっつ目は、好きな事にうちこむ事、です。

別に好きなこと、一生懸命にしたい事などないんですが、と仰る方も多いと思います。
これについては思うことも多く、もう少し考えて、また続きを書きたいと思います。

 

 

 

 

美しさに触れると、生きる意味をDNAレベルで思い出しますね〜。