【2020年1月29日】前回の続き 〜 普通の人であること、普通の生活が営めること、に感謝!(^^)

 

 

 

前回「怖い音楽」と書きましたが、ちょっと分かりにくかったかもしれません。補足で説明します。

 

 

「怖い音楽」とは、昔のマイナーなロックによくあった、心のギリギリのところで鳴らしているような音、という意味合いです。

昔からそういう音楽は、ロックのウラの本流として脈々と続いていたのですが、ビリー・アイリッシュさんや米津玄師さんの音楽のように、超メジャーなシーンでもそういう音が鳴り響く世の中になった、そう言いたかったんですよ。

 

 

まあ欧米では昔から、時々そんな音楽がストレートに受け入れられていたので、そんなに珍しくもないんですが、日本もそうなってきたのか、という感じです。

 

 

 

そんな音楽は、リスナーは喜んで聴いていますが、演ってる人は身を削って作ってるんじゃないかなと。

このビリー・アイリッシュさんの記事を読んで、ビリー・アイリッシュさんの音楽を聴いている方なら、やっぱりなあ、と思うのは、私だけではないと思います。いや、ちゃんと聴いてない私でさえ、思いました。27歳辺りで命を絶ってしまわなければいいんですが。

私も人からよく「繊細ですね」と言われるんですが (ホントに 笑)、音を聴く限り、ビリー・アイリッシュさんは私と比べるレベルではなく、とんでもなく繊細な人だと感じます。

 

 

 

それで更に思うのは、そんな音楽は、よっぽどの才能が無いと出来ないということです。これは実感です。

私が奏でたいのは、日々の生活の中で生まれる、ごく普通に聴こえる音楽です。

 

 

前回のブログ記事を書いて、あらためてそう思いました。

ギリギリの音楽は、特別な音楽は、才能のある人が身を削って行えばいい。普通の人は、普通の生活をして、その中から生まれる、ちょっとした感情などを掬って、音にすればいいんじゃないかと。

せっかく、ありがたい普通の生活が出来るんだから、その喜びや悲しみなどを表現していきたいなあと。(才能のない人の負け惜しみみたいだけど…笑)

 

 

 

そんな普通の私の歌は、こちらから聴けます。↓