先月HPに新しく出来た数曲をアップしたところ、若干の反応がありました。貴重な感想なども頂きました。どうもありがとうございました。
そんな感想を聞いて思ったのは、聴く人の感性は当然ながら人それぞれなんだなあという事です。同じ曲でも、ある人は良いと言い、ある人は、前の方が良かったといい。
思えば、アルバムを何枚もリリースしている大物アーティストの、曲やアルバムの人気投票なども、選ぶ人によって、実にバラバラです。
かのビートルズのアルバムでも、ある人は初期のエネルギッシュなのがいいという人もいれば、やっぱり革命的な『サージェント・ペパーズ』だよ」と言う人もいれば、「『アビイ・ロード』の完成度が最高だ」「いや『リボルバー』こそ、ビートルズのエッセンスが凝縮されている」などなど…。
結局のところ、音楽の評価はその人の好みであるという事ですね。そう言い切ってしまうと、世の中の音楽評論の存在意義が問われてしまいますが。
ちなみに私は、音楽は自分の好みを超えたところで鳴っているものだと感じているので、好みでなくても、何か引っかかるところがある音は、繰り返して聴くことにしています。好き・嫌いはなるべく入れないように。好みでしか聴かないのは、地動説を信じているようなものではないかと。音楽を聴く態度は天動説が正しいのではと思います。(でも結局は、好きな音ばかり聴いてしまっていたりして。。)
それで、作る立場としては、あんまり人の意見には耳を傾けすぎてもよくないなあと、実は思っています。それこそキリがありません。
最近曲が次々と出来るのも、上手く言えませんが、自分の音楽を聴く自分、に向けて、その聴き手の自分が満足する音、を鳴らすようにしているからではないかと思います。
ソフトでの制作は、作ると言うよりも、聴きながら編集していく事の繰り返しです。ある意味、聴き手としての自分の感性が問われます。ちゃんと聴けないと、ちゃんと作る事が出来ません。
昔は「楽器が弾ける」事が、ミュージシャン及びクリエイターとしての絶対的条件だったのですが、時代が変わって、今はそうではなくなったという事です。
今は「いかにちゃんと音楽を聴けるか」という事が、クリエイターとしての条件になっている気がします。「テクニックがないから」とかの逃口上が言えなくなった、そんな時代になったという気がします。それはそれで、テクニックを磨く時代よりも、シビアなのではないかと思います。テクニックではなく感性そのものが問われるので。
これは今のところ、ビートルズのアルバムの中では一番よく聴いた「ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)」。
ビートルズに限らず、私は完成度の高いものよりも隙が多いアルバムの方が、聴いた回数は圧倒的に多いようです。
よくこのブログに上げているアーティストで言うと、デヴィッド・ボウイさんだと、多く聴いているのは、完成度の高い「ジギー」よりも、一般的には地味な評価の「ロジャー」の方。「ジギー」に比べ、散漫で隙だらけのアルバムです。
何故なのかは、そのうち自己分析してみたいと思います。