私がわざわざこうしてブログで書かなくても、いろんな方がいろんな所で語っている、そんな名曲、レッド・ツェッペリン「永遠の詩」(ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム) について。
前回、そのまま歌詞を乗せて続けようと思いましたが、長くなるので止めました。という訳で今回は続きです。
永遠の詩
俺には夢があった。
それも馬鹿げた夢だった。
知りたいことは何でも知ることができ、
行きたいところには行けるという夢。
俺の歌を聴いてくれ。
みんな今すぐに聴きたくないかい?
いっしょに歌おう。
きみは何を失おうとしているのか気付いていない。
きみの心にある小さな歌のかけら。
それがどんなに小さいと思っていても、
育てていかなければならない。
育てていかなければならないんだ。
カリフォルニアの太陽…
純粋なカルカッタの雨…
ホノルルの星空…
歌は永遠に残る。
ハーレ・クリシュナへの賛歌を大合唱しよう。
いかれた淫靡なダンスを踊ろう。
街の明かりはますます輝いている。
そして俺たちは滑り落ちていく…滑り落ちていく…滑り落ちていく…
訳 : 「訳詞如来が来ましたが? 」さんのブログより
今ではロック・フェス事業で大活躍しているロッキング・オンの代表である渋谷陽一さんが、その自社主催フェスの前説の前に必ず流していた (まだ流している?) 曲が、この曲です。一部のロック・ファンの間では、わりと知られた話です。
この曲はまさに「カッコイイ」という言葉がピッタリ当てはまる程、ハードでスピーディーでキラキラしていて、最高にカッコイイ曲です。そしてそんなサウンドに乗せて歌われる簡潔な言葉も、実に直接的というかロック的です。
実は長い間、レッド・ツェッペリンの歌詞は、何を歌っているのかよく分かりませんでした。
数年前にリマスター盤がリリースされ、私も好きなアルバム数枚を購入しました。その時にあらためて歌詞カードを読み直しましたが、やっぱりピンときませんでした。
洋楽の歌詞は意味が直接頭に入ってこないので、サウンドさえよかったらどうでもいいのですが。私はサウンドがよかったら、どんな事を歌っているのか、知りたくなる性分なので。
そんな中で、この曲の歌詞だけは、スッと入ってきました。元々簡単な単語と簡潔な文なので、英語の分からない私でも、何となく分かりましたが。
ジミー・ペイジのインタビューによると、ツェッペリンは、基本的にオケが出来てから、ロバート・プラントが歌メロを乗っけていくそうです。ロバート・プラントにとって、サウンドにちゃんと乗っかる(言葉の)音なら、意味などどうでもよかったんじゃないかと思います。ツェッペリンに限らず、ハード・ロックの歌詞など、大体そんなものです。
上記の訳詞は、前回ブログで画像にこの曲を使おうと閃いて検索したところ、当たったブログ・サイトからの引用です。CDのよりも更に分かりやすく翻訳されています。
サウンドと言葉がピッタリマッチした、歌う歓び、幸福感を歌ったこの曲。タイトル通りに、ずっと聴き継がれていく名曲だと感じます。
「永遠の詩」が入った「聖なる館」(’73年) のジャケットが見つからなかったので、たまたまあったこちらを。これは7枚目のアルバム「プレゼンス」(’76年)。
以前の当ブログ「1976年はロックの一里塚 (もしくは終着点)」(10月22日) で触れた、数枚のうちの一枚です。