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【2017年11月25日】前回の続き 〜 「永遠の詩」について

私がわざわざこうしてブログで書かなくても、いろんな方がいろんな所で語っている、そんな名曲、レッド・ツェッペリン「永遠の詩」(ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム) について。
前回、そのまま歌詞を乗せて続けようと思いましたが、長くなるので止めました。という訳で今回は続きです。

 

 

 
永遠の詩

 

俺には夢があった。
それも馬鹿げた夢だった。
知りたいことは何でも知ることができ、
行きたいところには行けるという夢。

 

俺の歌を聴いてくれ。
みんな今すぐに聴きたくないかい?
いっしょに歌おう。
きみは何を失おうとしているのか気付いていない。
きみの心にある小さな歌のかけら。
それがどんなに小さいと思っていても、
育てていかなければならない。
育てていかなければならないんだ。

 

カリフォルニアの太陽…
純粋なカルカッタの雨…
ホノルルの星空…
歌は永遠に残る。

 

ハーレ・クリシュナへの賛歌を大合唱しよう。
いかれた淫靡なダンスを踊ろう。
街の明かりはますます輝いている。
そして俺たちは滑り落ちていく…滑り落ちていく…滑り落ちていく…

 

 


訳 : 「訳詞如来が来ましたが? 」さんのブログより

 

 

 

 

 

今ではロック・フェス事業で大活躍しているロッキング・オンの代表である渋谷陽一さんが、その自社主催フェスの前説の前に必ず流していた (まだ流している?) 曲が、この曲です。一部のロック・ファンの間では、わりと知られた話です。

 

 

この曲はまさに「カッコイイ」という言葉がピッタリ当てはまる程、ハードでスピーディーでキラキラしていて、最高にカッコイイ曲です。そしてそんなサウンドに乗せて歌われる簡潔な言葉も、実に直接的というかロック的です。

 

 

実は長い間、レッド・ツェッペリンの歌詞は、何を歌っているのかよく分かりませんでした。
数年前にリマスター盤がリリースされ、私も好きなアルバム数枚を購入しました。その時にあらためて歌詞カードを読み直しましたが、やっぱりピンときませんでした。
洋楽の歌詞は意味が直接頭に入ってこないので、サウンドさえよかったらどうでもいいのですが。私はサウンドがよかったら、どんな事を歌っているのか、知りたくなる性分なので。

 

 

そんな中で、この曲の歌詞だけは、スッと入ってきました。元々簡単な単語と簡潔な文なので、英語の分からない私でも、何となく分かりましたが。

 

 

ジミー・ペイジのインタビューによると、ツェッペリンは、基本的にオケが出来てから、ロバート・プラントが歌メロを乗っけていくそうです。ロバート・プラントにとって、サウンドにちゃんと乗っかる(言葉の)音なら、意味などどうでもよかったんじゃないかと思います。ツェッペリンに限らず、ハード・ロックの歌詞など、大体そんなものです。

 

 

上記の訳詞は、前回ブログで画像にこの曲を使おうと閃いて検索したところ、当たったブログ・サイトからの引用です。CDのよりも更に分かりやすく翻訳されています。
サウンドと言葉がピッタリマッチした、歌う歓び、幸福感を歌ったこの曲。タイトル通りに、ずっと聴き継がれていく名曲だと感じます。

 

 


「永遠の詩」が入った「聖なる館」(’73年) のジャケットが見つからなかったので、たまたまあったこちらを。これは7枚目のアルバム「プレゼンス」(’76年)。
以前の当ブログ「1976年はロックの一里塚 (もしくは終着点)」(10月22日) で触れた、数枚のうちの一枚です。

 

【2017年11月23日】前回の続き 〜「しあわせ」は他人からいただくもの

前回、結論として「1番のレベル・アップ、充足感への近道は『他人に聞いて頂く』、これです。」と書きました。それについて、もう少し考えてみました。

 

 

 

 

「他者は地獄」という言葉があります。昔読んだ本にあった言葉で、誰が言ったのか忘れたので検索すると、フランスの実存主義哲学者サルトルの言葉でした。
これは単純に「他人は自分にとって地獄だ」という意味ではなく、もっと別の深い意味があるので、ここでは端折ります。気になる方は、それぞれ勉強していただければいいかと。

 

私が思うのは、あえてサルトルの言い方の逆に言うなら「他人は自分にとって (しあわせをもたらす) 天使だ」です。念のためですが、サルトルの思想の逆という意味ではありません。
これは別に性善説からの考えではありません。もっと正確に言うなら「他人は自分にとって天使だ (ったら、しあわせな毎日だよなあ。そうなるようにちょっとでも努力しよう)」です。

 

 

 

私たちが「世界」とか「日常」とか言っているのは、100%「人間」を指している概念です。「北朝鮮」と言うと、あの指導者や飢えた人民を、「日常」と言うと、同僚や友人や家族の顔を、それぞれ思い出す筈です。私たちの意識の大半は、他者と自分、そしてその関係、つまり「人間」に向けられているのです。

 

人は常に人の事 (自分を含めて) を考えている。だからこそ、他人からの言葉や笑顔や、ネット経由の「イイネ」が、とても気になるんです。
料理を作っていらっしゃる方は、自分の料理を「美味しい!」と言われるとうれしいですし、野菜を作っていらっしゃる方は、たくさん収穫できて近所におすそ分けした際に、心からのお礼を頂いたり、トマト美味しかったよと言われたりすると、やっぱりうれしくなると思います。
私にとって「しあわせ」という感情は、他者からしか頂くことは出来ません。

 

そして音楽を演っていらっしゃる方の場合。ちょっとしたライブや制作した音源で、歌や演奏や楽曲を褒めて頂いたり、もっと実力のある方だったら、大きな会場で演奏して、何度もアンコールの拍手を頂いたり。
そういうのが、賃金報酬と同じく (ある意味それ以上の) 大きなモチベーションのアップにつながるのではと思います。

 

 

 

かと言って、他人からの評価が目的となるという訳ではありません。それは本末転倒というものです。
誰もが褒められてうれしかった体験というのは、自分のやるべき事がちゃんと出来て、なお且つそのやった事に対して、他人が評価してくださる、そんな時だったかと。別に他人に媚びて評価を得た場合ではないはずです。
音楽活動もそうですが、日々の生活でもそのような事を時々考えるようにしています。

 

 

 

 

 

音楽を聴いて受けるしあわせ感の正体が知りたいです。
「歌うことの歓び」を歌った歌、レッド・ツェッペリン「ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム」(’73年)。

ライブで演奏・歌う、ジミー・ペイジとロバート・プラント。