月別アーカイブ: 2017年11月

【2017年11月22日】歌を歌っている方・曲を作っている方へ

以前コンタクトがあり共同で何か行おうと話しを進めていた、クリエイターのKさんの曲が、このところ急に進化しています。
ちょくちょくラインで曲を送って下さるので、その都度感想や批評を返しているのですが、その送って下さるスパンも数日おきと、どれもスケッチ程度ではありますが、とても多作で熱心です。

 

 

よく質問もきますが、その内容は大体音楽理論についてです。私もそんなに詳しくないので、お答えする際は、必ず内容をサイトで調べて正誤を確認してから、自分なりの意見も乗せて返しています。質問を受ける私も、とてもいい勉強になっています。
そんな理論の質問があった後に、いつも曲が送られてくるのですが、必ずと言っていいほど進化しています。まるでスポンジのような吸収力です。

 

 

そして、自分の事を思い起こせば、そんな進化も納得出来ます。
私は数年前から曲を作りだしましたが、最初の3曲が出来た時点ですごく嬉しくって、まず思ったのは、「誰かに聞いて欲しい」でした。そして実際に、聴いてもらえそうな方にCDを渡して感想を聞いたりしました。とても稚拙な歌でしたが、何故か恥ずかしいとは思いませんでした。
だけどこれは、ある意味当たり前の事で、実際、誰かに自分の歌を聞いて欲しいから、歌を作りだした訳なので。

 

 

 

 

変な例えですが、英語教育など、学校や塾で嫌という程英語を習って、それでもやっと喋れる程度の人が、ポツリポツリといる訳です。ところが、イギリスやアメリカに行くと、子どもでもペラペラと英語を喋っています。
何故かと言えば、アメリカやイギリスの子どもたちにとって英語は「どうしても必要」だから、ちゃんと喋れるようになるんです。日本人が日本語を喋れるように。だから日本人も、イギリスに住めば、100%英語を喋れるようになります。

 

 

で、何故「どうしても必要」かと言えば、他者とコミュニケートするためです。大多数の日本人が何故英語が喋れないか、それは、「必要ないから」なんですね。

 

 

 

 

歌を作る事は、技術的な事など実はあまり重要ではありません。子どもが言葉を覚えるように、それが必要な人には、必ずメロディが降ってきます。必ずそれなりに歌えるようになります。テクニックや理論は、それをキャッチする道具でしかありません。それが必要な人というのは、「歌で他者ともっとつながりたい」という思いが大きい人の事です。

 

 

Kさんは、私以外の人にもどんどん自作を聴いてもらっているとの事です。だから、進化するのだと感じました。
歌を歌っている方・楽器を練習している方・曲を作っている方へ。1番のレベル・アップ、充足感への近道は「他人に聞いて頂く」、これです。自分一人で悶々しててもしょうがないです。下手でもいいじゃないですか。まずは隣の・身近な、聴いてもらえそうな方に、聴いてもらって下さい。(自戒を込めて)

 

(そして、文章も同様。他人に読んでもらえてこそです。)

 

 

 

 

日本人では誰よりも歌を必要としていそうな、宇多田ヒカルさん。「ディス・イズ・ラヴ」のライブより。

【2017年11月21日】ロック・アーティストの死

数年前からロック・アーティストの死が相次いでいます。しかも、普通に。一般的な病気で。

 

 

こう書くと、ロッカーも高齢化になっているので順番に逝ってしまうのは当たり前じゃないか、人間なんだし、と思われる方も多いと思います。
しかし一昔前は、ロッカーの死というのは「特別な死」でした。ドラッグや事故、自殺や他殺など、「特別な生」を生きる、ロック・アーティストらしい (?) 壮絶な死に様が多く、これに関してはいろんなネタ本などでも触れることが出来ます。
私など、’70年代からロックの世界に影響を受け続けてきた人間は、そんな死が当たり前なのだと思ってきたフシもあります。

 

 

ところが、ホントに当たり前の事なのですが、今世紀に入ってから、徐々に「普通の死」が増えてきました。まあ死に特別も普通もないんですが。

 

 

そして私に限らず、ベテランのロック・アーティストのライブへの接し方も変わってきた人も多いんじゃないでしょうか。
昔は、大好きな◯◯が来る!行こう!だったのが、◯◯が来る?もしかしたら見納めになるかもしれないから、行っとこうか、です。親の死に目に立ち合うという感じです。別にその人の死期が決まっている訳ではないんですが。(アーティストに失礼)

 

 

 

 

実は昨年、不謹慎かもしれませんが、私の大好きだった、今は亡きアーティストたちの楽曲を数曲ずつ入れた、1枚のCDを編集しました。ジョージ・マイケル、プリンス、ボウイ、EL&P、ルー・リード、… と、最近亡くなった方から遡って曲を入れていきました。

 

 

時々聴き返しますが、生の証をこうして鮮烈に遺したアーティストたちのプレイを聴く度に、その歌による感動はもちろん、自我の確立や人格形成へ多大な影響を与えてくださった事や、人生の苦しい場面に (歌で) 助けていただいた事、勇気を与えてくださった事などを思い出し、何というか、襟を正される気がします。

 

 

 

 

画像は1992年、UKウェンブリー・スタジアムで、フレディ・マーキュリー追悼のコンサートで7万2千人の前で歌うジョージ・マイケル。