今日まで、大体どこのショッピング・モールや百貨店などに行っても、BGMにクリスマス・ソング、もしくはクリスマス・ソングをアレンジしたBGM用の曲がかかっています。
クリスマス・ソングというのは、大体が「聖なる夜」を祝う歌が多く、そういう雰囲気を喚起させるメロディや言葉を使っているのですが、人混みでごった返しのお店でBGMとしてかかっていても、そんな聖なる雰囲気は全く感じる事が出来ません。
私の大好きなクリスマス・ソングに、ポール・マッカートニーさんの「ワンダフル・クリスマスタイム」という曲があります。洋楽がBGMのお店だと、この時期しょっ中かかる曲です。
私がこの曲を初めて聞いたのは、中学3年生の冬、深夜のラジオででした。イントロのシンセサイザーと鈴の音色、そして唐突に入ってくるポールのボーカル。その後もラジオで何度もかかり、エアチェックして毎日聴いていました。
この曲を聴くと、寒い冬の夜、ストーブを焚いた暖かすぎる部屋で、勉強をしているフリをして、コーヒーを飲みながらラジオやレコードにかじりついていた中3の冬のあの頃に、すぐにフラッシュバックしてしまいます。良い音楽はタイムマシンです。
今でもこの曲は、お店のBGMで流れるのと部屋で一人で聴くのとでは、心に入ってくる度合いが数百倍違います。
実はそんな経験は、この「ワンダフル・クリスマスタイム」に限ったことではありません。深夜のひと時に、一人で密かに何度も何度も聴いていた大好きな曲が、仕事中に不意に有線で流れても、あの深い感動はどこに?という感じです。(仕事中なので当たり前なんですが…)
実はここに、音楽を楽しむ事の危うさがあります。
音楽は、映画やマンガのように、鑑賞するのにこちらの意識をその対象にとばさないと楽しめないものではなく、それこそ歩いていても勝手に耳に入ってくる、そんなものです。
だからこそ、身近で楽しみやすく、あちこちで鳴っているのですが、多くの音と接していると、上辺だけ薄っぺらく聞いてしまいがちになります。
「ワンダフル・クリスマスタイム」だって、もしかしたら深夜のラジオに耳をそばだてて聴いていたからこそ、自分の心に入ってきたのかもしれません。お店のBGMとして聞き流していたら、出会えてなかったかもしれません。
ここ十数年だとiTunesなどの普及で、イントロを聞いただけで、曲を聴いたつもり・分かったつもりになったり。作るミュージシャン側も、まず30秒聴いてもらうには曲をどう展開すればよいか、などと考えるようになったり。
それから、世の中には、一回聴いただけで分かる曲もあれば、10回聴き返してようやく良さが分かるという曲もあります。そして同じ曲でも、聴く側の意識次第でそれは、ある人にとっては黄金にも値しますが、ある人にとってはそこら辺に転がっている石ころ同然となります。
BGMとして、無料配信として、大安売りしている今の恵まれた音楽状況だからこそ、余計に耳を研ぎ澄ましてしっかり聴かないと、本当に良い音楽に巡り会えなかったり、心の底から感動出来なくなってしまいます。
タダほど高いものはない、とはよく言ったものです。気を付けないと…。(以上、自分自身への戒めです)
クリスマス・イブに、「ワンダフル・クリスマスタイム」を聴きながら。
何と!ポールはライブでもこの曲を演っていました。