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【2018年7月24日】歌詞を書くことについて

今回の「八月に降る雨」や「ひみつの言葉」が何故数日で出来上がったかといえば、歌詞がすぐに書けたからです。曲の完成する・しないは、ひとえに歌詞にかかっているといっても過言ではありません。それから、トラックの制作途中で言葉(歌詞)が決まると、不思議と出す音も次々と決まってきます。

 

 

そして歌詞をなかなか書けないのは、これは私だけではないようで、知り合いのクリエイターの方々は皆んなそう仰います。全く書けない、書けないから音だけで勝負する、という方もいらっしゃいます。

宇多田ヒカルさんでさえ、以前のブログ本で、「歌詞はホントなかなか書けない」「胃をキリキリさせながら書いている」という旨を書いていました。つまりは、皆んなそうなんですね。

 

 

そのブログ本、その時は何気に読んでいましたが、今は身に染みてよく分かります。メジャーのアーティストさんのように〆切があったら、ホントに胃薬飲みながらやアルコールに逃げたりしながらの創作になりかねません。(実際多いそうです)

脳を雑巾のように絞って、ようやくポロポロと言葉が出てくるという感じです。歌詞を書くのは、日々の賃労働のストレスも吹っ飛ぶ程のストレスです。いや、ホントに。(それならやるなという感じですが 笑)

 

 

音は技術刷新が進んでいて、今では誰もが、ソフトを使ってある程度のレベルまでは自在に作れるようになりましたが、言葉はソフトに頼れません。ひたすら考え抜くしかありません。あらためて感じます。

そして、言葉のクォリティや世界観は、何故か音のクォリティや世界観を裏切りません。良い音は、歌詞を読んでも良いです。その逆もしかり。不思議ですね。

 

 

 

 

宇多田ヒカルさんのブログ本「線」。ブログなので軽い文体ですが、創作のエッセンスが詰まっています。先程の発言はこの本から。

 

久しぶりに、チラッとページをめくったら、偶然こんな記事が。

 

 

 

 

「12、3才で (中略) 25冊くらいかな?」…。宇多田さん、やはり歌を作らずには生きていけなかったんですね。。。

 

【2018年7月23日】「異常気象」という言い回しは、大昔の「天動説」と同じ

今回はタイトルだけで伝わりそうです。

 

 

 

そもそも地球は、人間だけが住みやすいように出来ている訳ではなく、もしかしたら恐竜絶滅級の気候の変化が今後起こりうる可能性も、十分にあります。何度か書いていますが、大雪や大地震や猛暑など、これが自然で、これが普通です。「異常気象」という言い回しは、人の奢りの何者でもありません。

問題なのは、地盤の緩い山の斜面に家を建てたり、山の木を切り過ぎたり、そして過度に運動させ過ぎの部活であったり。天災の被害のうち、その多くが人災です。

 

 

 

先週の金曜日ですが、夕方、近くの中学校の近くを車で通った際、いつもと同じように、テニスコートで部活に勤しむ中学生と顧問の先生の姿が見えました。

おそらくですが、顧問の先生も生徒さんも、こんな日に外で部活をやるのはおかしくない?と、心のどこかで絶対に感じている筈です。その日は金沢でも35度以上を記録した筈です。

でも実際は、上から「部活中止」の指示が出ない限りは誰も練習を辞めません。先生すら判断出来ないのでしょう。これが同調圧力というものです。

 

 

私はこの中学校とはなんの関係もないので、だから普通に通りかかって見てそう感じるのですが、当事者はそうではありません。当事者的には「やる」と決まっている事はやらなければいけません。ましてや運動部の生徒さんなど、先生に逆らえる筈はありません。

 

 

原発の再稼働とか最近の裏口入学とか、個人の悪以上にタチの悪い圧力を、この中学校のテニスコートからも感じました。大袈裟でしょうか?(裏口入学も、その世界では当たり前になっていて、当事者的には「悪い事」ではなかったのでしょう)