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【2018年11月17日】「新しい音」とはリズムの進化の事です 〜 ゲスの極み乙女、米津玄師

この間、知人の娘さんがバンドで演る曲を簡単に弾けるように出来ないかとアレンジを頼まれ、その譜面に目を通したり曲を聴いてみたりしました。その曲は、ゲスの極み乙女「crying march 」です。

 

 

その時はギターのアレンジでしたが、今度はベースを簡単にアレンジしてもらえないかとの事でした。

実はこのバンドの曲はタイアップ曲やシングル曲しか知らず、それでもうすうすスゴイなあとは感じていましたが、今回サシで聴いてみて、数年遅れて今更ながらという感じですが、本当に凄いというのがよーく分かりました。子どもたちが熱狂するのが納得です。

 

 

ところで、ゲスの極み乙女や米津玄師さんや、引退したぼくのりりっくのぼうよみさんを聴いていて、これはと感じるのが、そのリズム感です。ちょい聴きだとメロディのキャッチーさが耳につきますが、そのメロディもビートも、今どきのヒップホップを消化したものです。

 

 

私は今まで、こんなに世界的に聴かれているヒップホップのビートが、どうして日本人に普及しないんだろうと思っていましたが、私が知らない (聴かない) 超メジャーなJ–ポップの世界で、ちゃんと今の時代のヒップホップを消化したポップス (ロック) を演っている方がいたんですね。日本人にもノレるように。

 

 

ヒップホップ畑のぼくりりさんはともかく、ゲス極と米津さんは、一聴して、両方とも性急な縦ノリに聴こえますが、そうではなく、緻密なノリやうねりがちゃんと表現されています。しかもゲス極の方は人力グルーヴです。今時の若者は本当に上手い!オジさんはビックリしました。

 

 

 

 

音楽では昔から「時代の音」という言い方があります。あの時代の音、とか、今の音、とか。以前「ドラムの音は時代の音」というタイトルで、当ブログに時代の音についての考えを書いたことがありますが、もっと突き詰めると「時代の音の変化はリズム感の変化 (進化)」と言えそうです。リズム感が新しい=新しい音、なんですね。「今の音楽についていけない」は、多分にリズム感に起因しているんですね。

 

 

だからどうだという事でもなく、ついていけないなら昔のを聴いていればそれでいいんだと思います。音楽は好きずきなので、ノレない音は無理して聴かなくてもいいかなと。私も縦ノリの速いのは既についていけないので、年々聴かなくなっています。

ただ、一つ言えるのは、ノレるリズムのバリエーションが増えるという事は、それだけ世界が広がるという事です。リズムの進化で、もっともっと豊かに音楽表現の幅が広がっていくんじゃないか、そう思います。

 

 

 

【2018年11月16日】カレー屋さんで「村上春樹の100曲」を読む

時々行く、ジャズ喫茶ならぬ、ジャズカレー屋に久しぶりに行ったところ、お店の本棚に並んでいて、思わず手にしました。この本は、村上春樹さんの小説に登場する曲をジャンル別に解説した、いわば音楽評論集です。著者は5名の共著です。

このお店では過去に、忌野清志郎さん「瀕死の双六問屋」や、村上春樹さん「意味がなければスイングはない」その他、すてきな音楽本との出会いがあります。

 

 

村上春樹さんの小説には、実に多くの楽曲が出てきます。ジャンルも、クラシックからポップスまで網羅しています。「ノルウェイの森」など、そのまんまですね。

特に初期の作品はポップスやロックが頻出していて、だから読んでいたんだと思います。(当時は、まさかこんな大ベストセラー作家&巨匠になるとは、思ってもいませんでした)

 

 

そんな曲たちを、この本では小説の場面に対応させて解説しているのですが、単なる小道具としてではなく、「このシーンにはこの曲」と、曲を知っていたら2度楽しめる、そんな使い方をしているという事が、この本を読んで分かって、いろいろと納得しました。

何かの比喩とか意味があるんだろうなあとは感じていましたが、私は基本、何にも考えずにただ活字を追っていたので。言われてみれば、たしかに「海辺のカフカ」のカフカ少年が聴く音楽には、レディオヘッドの「KID A」がピッタリ合います。合いすぎです。

 

 

この本を読みながら、小説を読まない (読めない?) 私が、何で村上春樹さんのだけ読めたのか、何となく分かったような気がしました。

 

 

 

 

食後のコーヒーを頼んで長居してしまいました。