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【2019年5月24日】サカナクション山口一郎インタビューより 〜 「曲を更新していく」について

 

 

サカナクションの山口さんのインタビュー記事「サカナクション山口『もうアルバム出すのやめようかな』発言の真意」が、先日のyahoo!ニュースで上がっていました。

私はサカナクションの音はあまり聴きませんが、この人のインタビューは面白いので、上がっていると必ず目を通しています。いろいろと興味深い発言が多い中、思わず「なるほど!」と共感して、自分でもやってみようかと思ったのが、「音のアップデート」「曲のヴァージョン・アップ」。

 

 

…PCのOSみたく、曲をアップデートできたら、と。例えば、ファンが松任谷さんに年間6,000円払って、新曲が届く。届いたときはバージョン1だけど、バージョン1.2にアップデートされて、「ハットの音が変わりました」とか「一部分、歌い直しました」とか(笑)。

 

松任谷:「歌詞が気に入らなくて、直しました」(笑)。

 

山口:自分が好きなバージョンがあったらそれを聴き続ければいいし、バージョン1はアコースティックギター1本だったのが、最終的にバンドアレンジになっていくとか……アップデート方式、いいなと思ったんですよね。…

 

 

レコードやカセット、MDやCDというメディアは、そこに収められた時点で「終了」です。それが最終形態で、変化する余地がありません。古代の洞窟の壁画に刻まれた絵と、基本的には同じです。

昔はそれでよかったのですが、今は、音楽や絵はPCで作れる時代にーーつまり、何度でも上書き出来る時代になったので、「これが最終形態」と、アルバムとして提示しなくてもいいんじゃないか。

 

 

そういう事を仰っているのでは?と感じました。それが対談のタイトル「サカナクション山口『もうアルバム出すのやめようかな』発言の真意」かなと。

今までの芸術作品に不可避だった「完成させること」を拒否する発言で、これは新しい発想ですね。「セルフ・カバー」ではないところが、新しいです。

 

 

 

思い出したのは、昔、トーキング・ヘッズ (ニュー・ウェイヴのバンド) が、ライヴ映画「ストップ・メイキング・センス」で観せた、バンドのヴァージョン・アップ。数十年前に一度観たきりで、うろ覚えなのですが。

 

 

セットすら組まれていないステージに、まずラジカセとアコギを持ったデヴィッド・バーンさんが登場して、一人で演り始めます。それから、バンドが加わったりコーラスが加わったり、バック・バンドのブラック・ミュージシャンが加わったりで、音が増えていき、ステージセットも色彩が鮮やかになっていきます。

 

 

当時はヴァージョン・アップなどという言葉を知りませんでしたが、今思うに、さながらトーキング・ヘッズというOSが次々とヴァージョン・アップしていくような。素敵なマジックを見せられたような映画だったと記憶しています。

 

 

 

山口さんがこの映画を観たかどうかは知りませんが、ある一曲を次々とヴァージョン・アップしていく事により、この「ストップ・メイキング・センス」のような、新しいマジックを生み出したいのでは?私はそう感じました。

 

 

 

【2019年5月23日】そろそろアルバムの準備をはじめます 〜 ショパンの言葉に思う

日々曲作りが続いていますが、そろそろアルバムの準備を行いたいと思っています。

最近思ったのは、音源制作は、締切を設定すればそれなりのものが出来る、という事です。この締切は、私の場合は基本的に自分で決めます。だから無意識のうちにも、無理な設定はしません。がんばれば出来る、そんな締切です。

 

 

最近は知人に聴いていただく機会が度々あり、その都度締切を設けて制作している為に、曲が次々と出来ていると感じます。

どの時点で完成と呼ぶのかは、定義が難しいところですが、私の定義は「アルバムが出来た時点で完成」です。なので、そのアルバム完成に向けて、ここ半年程で作った楽曲の見直し及び演り直し (アレンジ、演奏、歌など) を行って行こうかと。

 

 

 

ところで他の人は、どの時点で自分の曲 (表現) を「完成」と考えるのだろうと気になって、ネットで検索してみました。「自分が完成と思った時点で」「塗る絵の具がなくなった時」など、いろいろあって、要するに人それぞれなんだなと。

 

 

そんな中で、野村三郎著「『音楽的』なピアノ演奏のヒント」の中の一文。「絵を完成させてゆくのは聴衆なのだ」というショパンの言葉が印象に残りました。これは、実際に聴衆が決めるという事ではなく「他者視点に自作を委ねる」という意味ではないかと思います。

 

 

 

私の場合、曲を作っていく過程の最初の方は、自分の妄想や閃きで進んでいきますが、ある程度のところまで形になっていくと「これを聴いたら◯◯さんには、どんなふうに感じてもらえるんだろうか?」「ここをこうしたら、××さんにはもっと響くんじゃないかな?」と考えたりします。作り手目線から聴き手目線に、視点がある時点で大きく変わります。

 

 

今まで無意識にそうなってましたが、これは、ちゃんと完成させるうえで、凄く重要な事なのではないかと。これをもっと突き詰めていく必要があるんじゃないかなと。上記のショパンの言葉を噛みしめました。これこそが「ポップな」表現なんじゃないかなと。

 

 

 

 

 

そうやって完成した?ショパン「別れのワルツ」のスコア。