月別アーカイブ: 2020年1月

【2020年1月20日】音楽は商品を超えて 〜 完成に拘らずに創作するには?ーー X JAPANのニュー・アルバムに思う

 

 

X JAPANのヨシキさんが、ニュー・アルバムのリリースに際して、うつ状態になっているそうです。「DAHLIA」を’96年にリリースしてから、悩みに悩んでいるとのことです。何と、24年も経っています。

 

 

 

アルバム (やシングル) で、商品としてリリースするということは、作品がそこで完結してしまうということです。つまり世間的には「完成品」として聴かれる訳です。完成品ということは、普通に考えると、完結していて手直しが出来ないということです。

 

 

ヨシキさんは完璧主義者だそうです。一点の曇り・疑問があったら、やり直すんじゃないかと。だから完成しないんでしょう。しかし、「完璧」は、真剣に求めれば求める程、「完璧」から遠ざかっていきます。

ヨシキさんのようなアーティストは、世界をみるとそれなりにいらっしゃいます。つまり、なかなか完成させることが出来ないというのは、ヨシキさん個人の問題ではないと思われます。

 

 

 

宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」は、何度も何度も推敲されて、結局未完成のまま、作者本人は死んでしまいます。

ところが、読んで感銘を受けた方なら分かると思いますが、この作品は、未完成だからこそ、美しく輝いています。未完成だからこそ、読者の想像力によっていろんな解釈が出来る、そんな作品です。

もしかしたら、宮沢賢治さんも完璧主義者だったのかもしれません。だから、一つの作品に一生涯を費やしたのかもしれません。でも、完成出来なかったことが、逆に作品の素晴らしさを高めている、そんな気がします。

 

 

 

以前に書きましたが、デジタルの表現とアナログの表現の大きな違いは、アナログは一回性なのに対し、デジタルはいくらでもやり直しがきく点です。昔は全ての表現がアナログだったので、「完成」という概念が生まれたのかもしれません。

デジタル時代の表現者は、別に作品を無理矢理完成させなくてもいいんじゃないかと、私は思います。とは言っても、商品として流通させなければいけないので、皆さんアルバムを作ったりシングルをリリースしたりしていますが。

 

 

CDやレコードなどで「最終形」としてリスナーに提示する、という表現スタイルは、もはや古いんじゃないか、そう思います。

発表した後も、いくらでも手直し出来てもいいんじゃないかと。

 

 

 

そう思いついたのは昨年のことで、私はそれから作品を量産しています。ダメなら寝かしとけばいいし、無理矢理詰めなくても、一応完成としておいて、後から手直ししています。

サウンドクラウドに上げた数曲でさえ、上げてから若干いじっている曲があり、データを更新しています。商業音楽ではないので、こういう自己満足が一番肝心なところなんじゃないかなと。ここが、CDアルバム曲と違う点です。

 

 

完成品として世に出した既存のCD作品も、アーティストの意向ひとつで気軽に更新できるようになれば面白いと思うのは、私だけではないと思います。

そうなれば、皆んなが皆んな、「完成品」にこだわることもなくなるんじゃないかなと。

 

 

 

 

 

【2020年1月19日】AI美空ひばりに思う 〜 山下達郎さんの発言から

 

 

今日のyahoo!ニュースから。

 

 

 

私は歌好きだけど、紅白歌合戦は子どもの頃の家族団欒時以来観たことがありません。好きなアーティストが出演した年もです。何故だろう?と考えた事もありませんでした。何となく生理的に観たくないからかなと。

そして、その年にヒットした曲のあるアーティストでも、紅白には出たくない、という方々は少なからずいらっしゃるのもよく分かります。

 

 

 

去年だと、スピッツが出るんじゃないかと言われていましたが、私は100%、出演しないと思っていて、知人などとそういう話になったら「絶対に出ないよ」断言していました。今更こんなこと書くのは後出しジャンケンみたいで気が引けるんですが。。

ファンの方には怒られる程、最近の曲を聴いている訳でもないんですが、本当の?ファンの方々は、私以上にそう思っていたと確信しています。

 

 

宇多田ヒカルさんが数年前に出演された時も、正直驚ました。でも、ロンドンからの中継と聞いて、ちょっとホッとしました。

それから、ファンではありませんが、米津玄師さんが一昨年に出演されたのも驚きでした。でもやっぱり中継でした。

宇多田さんも米津さんも、中継、が、本当に精一杯なんでしょう。多分。

 

 

 

それで上記の方々ーースピッツ、宇多田さん、米津さん、に思うのは、単純に、紅白歌合戦に堂々と出演するのが恥ずかしいんじゃないかということです。恥ずかしいから出たくない、という、すごく単純な理由なんじゃないかなと。(違ってたらごめんなさい)

 

 

 

それで更に思ったのは、紅白歌合戦は、観てる自分も恥ずかしくなる番組だから観ないのかなと。

裏返すと、そこが魅力なんでしょう。小学生の頃以来観てないので何とも言えませんが、基本は変わってないんじゃないかなと。

 

 

 

 

そんなことを思い出したのも、この記事を読んだからです。こういうの (AI美空ひばり) を何も感じずに楽しめる人が、きっと紅白歌合戦を毎年普通に観てる人なんだと思います。(悪口ではありません。実際「良かった」という人が多かったそうです)

 

 

私は山下達郎さんの発言に、激しく同意です。紅白歌合戦を観ていてこのシーンに出くわしたら、おそらく思わずチャンネルを変えていると思います。それぐらい酷いなあと。

自分的に言うと、デヴィッド・ボウイが、プリンスが、ジム・モリソンが、カート・コバーンが、AIで歌い出したら?という感じでしょうか。ガクッときますよね。。

 

 

 

やっぱり山下達郎さんは信用出来る、とあらためて思いました。