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【2020年4月21日】七尾旅人の「今」の歌が聴きたい

前回オザケンの記事を上げてから、ふと気になったのが、私の中では邦楽アーティストのツートップのもう一人、七尾旅人さん。

七尾さんについて何か書こうと思っていたら、何とyahoo!ニュースに七尾さんの記事が上がっていました。これはビックリ。

 

 

 

 

 

 

私にとって小沢さんと七尾さんは、音楽性のみならず、世界や音楽に対する考え方や意識も同調出来る、日本のアーティストの中では数少ないうちの二人です。

とは言っても、その才能のベクトルは正反対の方向を向いていると感じます。一言で言うと、オザケンは熟考型、七尾さんは反射神経型、です。

まあ実際は、オザケンは反射神経でツイートしてるし、七尾さんは練りに練って「911 FANTASIA」を作ったりで、あくまで私の中でのイメージです。

 

 

 

それで、今回は七尾旅人さんについて。

最近のコロナ・ウイルス現象について、多分七尾さんは、ごく近いうちに、歌にして我々に語りかけてくると思っています。これは確信しています。

9.11の後の「911 FANTASIA」のように。3.11の後の「リトル・メロディ」のように。デヴィッド・ボウイ死去後の「デヴィッド・ボウイ・オン・ザ・ムーン」のような。最近だと「きみはいるかな (戦地の家族たち)」。

 

 

 

古今東西のミュージシャンの、その99%は、過去の音楽を継承しつつ、自身のオリジナリティを加えて表現しています。私もそうです。つまり、アーティストは、伝統の継承者でもある訳です。

ところがごく稀にですが、突然変異的に、過去の文脈では説明しきれないミュージシャンが現れます。エイフェックス・ツインとか。

 

 

七尾旅人さんも、実はそんな人だと長い間思っていました。その認識がちょっと変わったのは、’10年のアルバム「ビリオン・ヴォイシズ」を聴いてからです。

 

 

このアルバムを聴いて「あ、七尾旅人って、ジャズがルーツなんだ」と感じました。ジャズをちゃんと聴いたこともないクセに (笑)。

実際のところ、どうなのか知りませんが、このアルバムを聴いた後、ライヴを2回観て、それは確信に変わりました。自意識を通さずに、脳みその無意識の領域から直接、音や言葉が発せられている、そんな風な。

 

 

 

そんな直感型の天才アーティストが、今のコロナ騒動で、どのように感じて、どんなメッセージを発するのか、興味が尽きません。

 

 

 

 

 

【2020年4月20日】オザケンのツイッターも久しぶりに閲覧しました 〜 大好きな曲「いちごが染まる」について、あれこれ

先日のロッキング・オンのサイトに続いて、久しぶり (1年以上?) にオザケンのウェブサイトにも出向いたのですが、トップページに「今情報がおおいのでTweetsでツイッターにお越しください。」の表示があり、ツイッターに移動しました。

 

 

最近の記事はやはりコロナ関連のツイートが多く、相変わらずの論調だなーと読みつつ、過去ツイートへと遡っていって、とあるツイートで思わず止まって考えました。

それは、アルバム「So, Kakkoii 宇宙」の中の一曲「いちごが染まる」についてのツイートです。

 

 

 

 

 

 

「いちごが染まる」は、’14年リリースのライヴ・アルバム「我ら、時」にも収録されている楽曲です。数年かけて練り上げた感のする曲で、収録されている両アルバムの中で、一番好きな曲です。どれだけリピートしたか分からないくらい、近年ではよく聴いている曲です。

 

 

こう書くと身もフタもないのですが、この曲は、いちごが成長していく、そのさまだけを歌った歌です。

もちろん、いちごはリスナーの身近な「何か」に置き換えて聴く事も出来ます。随所にオザケン得意の比喩表現が堪能出来る歌詞です。

 

 

私はこの歌は、(オザケンの) 子どものことを、いちごの成長に託して歌ってるんだなと感じました。まあどう捉えようと、それぞれのリスナーの自由なので、歌詞についての言及はこのくらいで。

素晴らしいのは、歌詞だけではありません。そのメロディや歌唱もです。

 

 

この曲のリズムは、ワルツの三拍子です。ワルツはヨーロッパのリズムです。オザケンの曲は基本ファンキーなビート感なので、初めて「我ら、時」でこの曲を聴いた時「おや?」と感じたのですが、何故か、妙に懐かしい感じがしました。

 

 

それから数回聴いて、この曲は、ヨーロッパの有名な民謡「サンタ・ルチア」の流れを汲んでるなあと発見?して、その何とも言えない懐かしさに納得しました。

かつてのオザケン楽曲の、洋楽のフレーズの生演奏によるサンプリング?で、これはパクりではないかと揶揄されていた頃の洋楽へのアプローチと全く違って、この曲のメロディは、正統な伝統継承だと感じます。

 

 

小沢さんはたしか幼少の頃ヨーロッパに住んでいたと、インタビューで読んだことがあります。そのルーツがストレートに出ています。いいですねー。

 

 

 

こういう曲を作っていたら、そりゃあ10年ぐらい、あっという間に経ってしまうよなあ。。

いつになるか分かりませんが、次のアルバムに、想いを馳せつつ。。