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【2020年10月25日】新曲「アフリカ」(仮題) 出来ました \\\\٩( ‘ω’ )و ////

久しぶりに、メロディアスな曲が生まれました。アメリカのバンド、TOTOの ’80年代の大ヒット曲「アフリカ」のイントロのドラムをサンプリング&ループにして、コードとメロディを乗せました。

ここ数作ーー「生命」はレディオヘッドとレッド・ツェッペリン、「春酔唄 part. 2」はロバート・グラスパー・エクスペリメント、とドラムのサンプリングが続いていて、今回もその流れを汲んでいます。

 

 

 

何しろ、それぞれが超一流のミュージシャンが鳴らすレア・グルーヴです。上手くハマれば曲のクォリティーが間違いなくアップします。

しかし、前述の2曲は言われないと分からないくらいに、上手く曲に溶け込んでいますが、今回のはちょっとあからさまな感じがします。もう一工夫必要です。

 

 

 

 

 

そのTOTOの「アフリカ」です。

 

 

私が高校生の当時、ロックには「産業ロック」なるジャンル?がありました。たしか、「ロッキング・オン」の渋谷陽一さんが、批判的な意味で言い出したのではないかと。

TOTOは、ジャーニーやスティクス、エイジア等と一緒に、渋谷さんの中では、その「産業ロック」なるジャンルに分類されていたように記憶しています。

 

 

私は当時、サウンド・ストリートを聴いてロッキング・オンを愛読していたので、それらのバンドははなから聴く耳を持たなかったのですが (←単なるアホかと 笑) 、TOTOだけは隠れて (笑) 聴いていました。この前上げたフリートウッド・マックのようです。

「ジョージー・ポーギー」「99」そして「アフリカ」。カセットテープにエアチェックしたこれらの曲は、何度聴いたか分かりません。

その中でも一番よく聴いたのは、今回サンプリングに使用した「アフリカ」です。

 

 

 

この曲の魅力は、悠久なるアフリカの大地の時の流れを感じさせる、最初から最後まで通底する、淡々としたドラムのビート、そして対比するようなドラマティックなメロディの展開、にあるのではないかと感じます。今聴くと若干情緒的に聴こえるサビメロですが、’80年代を彩る、あのシンセ音をバックに歌われると、これで正しい、と思えてしまいます。

 

 

大人になってから対訳を読んだのですが、歌詞もすごく良いです。リアルなアフリカを歌っているのではなく、白人目線で淡い郷愁を歌っていて、ある意味上から目線 (アフリカに対して) なんですが、それが、あのメロディにピッタリとマッチしています。日本人の私も、ある意味白人中産階級的な人種なので、共感できたのでしょう。

 

 

 

元うたに恥ずかしくない位の曲になったらいいなあ。。

 

 

 

 

 

コード譜。もう少し発展しそう。もちろんTOTOの「アフリカ」とは全然違います。

 

 

 

 

 

YouTubeに対訳付きの音源がアップされていました。

興味ある方は是非ご覧下さい。

 

 

【2020年10月24日】「大事なのは3作目だ」に思う 〜 ザ・ドアーズの3枚目と私の3枚目

今日、職場の方と話をしていて、何かの拍子に私のアルバム話になりました。12月にリリースが決まったことを伝えると、「3枚出すってすごいね〜」と、変なところで?感心されました。

その方も音楽が好きなのですが、私の趣味と全く被ってなく、あまり音楽の話はしません。ゆずやミスチル、ユニコーンが好きな方です。

 

 

その方の知り合いでも、私みたいに、インディーズとか自主制作とかで細々と曲を作っている方がいらっしゃるとのことでした。

その方が仰るには、その方の知り合いや、その知り合いの方のそのまた知り合いとか、知る限りだと、アルバムはほぼ1作止まり。作って2作。それ以上作ってる方は、いないとのことです。そんなことがあって、私の3作目に感心されたのだと思います。

 

 

 

がんばって作ったのに全く売れずに、それでへこんでやる気が失せた方も多いんじゃないかなと。あるいは、私も言われたことがありますが、身近な方からこんなつまらない曲作って等の中傷を受けて、嫌気がさしたとか。

あるいは、1作で才能?が尽きて曲が全く作れなくなった、とか、1作でバンドやユニットが解散してしまった、とか。

もしくは、1作作って満足してしまった、とか…。

 

 

 

いろんな理由が考えられますが、いずれにしても、継続するということはとても大変なことであるということです。

私にしても、昨年出会った知人に刺激を受けたり、コロナ禍で家ごもりの時間が増えたり…。その他いろんな偶然が重なってアルバムを作ることが出来た、そんな感じです。

 

 

 

 

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若い頃読んだ村上龍さんの小説のあとがきに「2作目は、1作目で学んだ経験とテクニックで書ける。大事なのは3作目だ」というような趣旨の文章が載っていて、なるほどなあと思ったことを憶えています。(その小説は、村上龍さんの2作目「海の向こうで戦争が始まる」か、3作目「コインロッカー・ベイビーズ」のどちらかです)

 

 

 

私の好きなロック・バンドに、’60年代に活動していたドアーズというバンドがいます。中学生の頃、ベトナム戦争を題材にした映画「地獄の黙示録」がヒットしましたが、その主題歌が、ドアーズの「ジ・エンド」でした。この曲を聴いて、いっぺんにファンになりました。

 

 

そのドアーズのディスコグラフィーを辿ると、まさしく村上龍さんの言うところの「2作目は、1作目で学んだ経験とテクニックで書ける。大事なのは3作目だ」が、痛いほど感じます。

ジム・モリソンという天才詩人の煌めくインスピレーションで一気に作った感のある、ファーストとセカンドに比べて、サード・アルバム「ウェイティング・フォー・ザ・サン」は、激しい嵐が通過した後の剥き出しの大地、といった趣きが感じられます。バンドの素の音楽性が顕になっています。

 

 

少年の頃のドアーズのマイ・ベストはファーストとセカンドでしたが、いつしかサード・アルバム「ウェイティング・フォー・ザ・サン」と、5枚目の「モリソン・ホテル」ばかり聴くようになっていました。今のマイ・ベストは「ウェイティング・フォー・ザ・サン」です。

 

 

 

表現の初期衝動というのは誰にでもあるもので、実はそんな衝動だけで、それなりに作品は作れます。でもそれは長くは続きません。私の少年時代の多くのパンク・バンドが、アルバム3枚持たずに解散してしまったのも、そんなところからです。

 

 

でもある意味、表現は、衝動が終わってからが勝負、ではないかと。もうこれで自分の出来ることはやり尽くして、すっからかんになった。逆立ちして足の裏を叩いても、何にも出てこない。実はそんな地点が、真のスタート地点なんじゃないかなと。

「ウェイティング・フォー・ザ・サン」を聴いていると、そんなふうに思います。たしか村上龍さんはドアーズの大ファンだったかと。前述の言葉も、もしかしたらドアーズを聴いて思ったんじゃないかなと。

 

 

 

私の3枚目は、数少ないリスナーにはどう聴こえるんでしょうか?何はともあれ、作れてよかったなーと思います。

 

 

 

 

 

ザ・ドアーズのオリジナル・アルバム6枚。左から3番目が「ウェイティング・フォー・ザ・サン」。

これは紙ジャケット・ヴァージョン。ライナーノーツは「ロッキング・オン」の松村雄策さん。ドアーズ愛に溢れた素晴らしい内容で、音源共々感動しました。(失くしてしまったのが残念。。)